見出し画像

#37 -知られざる歴史、エストニア共和国の独立とその運命。独立戦争とビスケットケーキ。


先にすでにつぶやきましたが、2月24日はエストニアの独立記念日。今から約100年前の1917年のロシア革命を機に、翌年の18年にロシア帝国からの独立宣言を表明したのが2月24日なのです。

これまでの歴史の中で、ドイツ・スウェーデン・ロシア・・・とにかく支配をされ続けていたエストニア人にとってはこれは大きな出来事だったのです。


が、


エストニア共和国の独立はそう長くは続きませんでした。

「そう長く」ってどれくらい?


うーん。。。



一日です。



え?一年じゃなくて?

ええ、一日でした。

一か月の間違いでもなくて?

ええ、ネクストDayでした。

なんで?

*

夢と希望をもって、エストニア共和国の独立宣言をしたにもかかわらず、既に当時、西エストニアを制圧していたドイツ帝国軍は、

え?なん勝手に独立宣言とかしとうと?(福岡弁だったかどうかは謎)

と、エストニアの表明をガン無視して、公式なものと承認しませんでした。
嫌がらせもいいとこで、独立宣言された翌日に、

じゃあ、タリン占領するけんね。(まだ謎)

と、あっという間に占拠し、エストニア共和国の淡い独立への夢は音をたてて崩れていきました。

しかし、同年の11月、第一次世界大戦の終焉・ドイツ革命が重なり、ドイツ軍は、

もう帰るけん、勝手にしていいけんね。(おそらく翻訳者が福岡県民)

と、エストニア政府に権限を戻し、引き上げていった。


ようやくエストニアに平和が訪れたのだった。


が、

(またぁっ( ゚Д゚)? )

一か月さえ経たぬ間に、今度は待ってましたと言わんばかりに、ソ連軍が攻め込んで来たのだった。

いや、ホント勘弁して・・・

などと凹むことなく、鉄の如く硬い意思をもったエストニア人は交戦を始めた。そこからエストニアの、約1年に及ぶ、独立戦争が始まるのだった。

エストニア側には北欧諸国からのボランティア兵士・ラトビア・英国・ロシア白軍が味方としてつき、ソ連軍との激戦を繰り広げたのでした。

これだけでも映画が3本くらい作れそうな感じなのですが、世界史の視点から見るとこの出来事は、ロシア革命の中の1チャプターとしてしか扱われていないのです。

大国と大国が戦争をするときって、こういう風に小さな国・地域がいくつも犠牲になっているんですよね。。

結果から言うと、エストニアはこの戦いに勝利し、ついに独立国としての名誉を手に入れたのでした。


が、

(はいはい、次はなによ?)

1940年、第二次世界大戦が始まると再びソ連軍に占領される。

しかし、エストニアはここで裏技をつかった。

このソ連の横暴を不法行為ということにして、
オレたちは占領されてない!
と、めっちゃ強がりを言ってみた。

コケて尻もちをついているのに、
ちょっと急いで座っただけだ。
と言っているようなものである。

そんな理由で、この時期からの占領をエストニアは国として認めてないので、
今年でエストニアは独立してから103年
ということにしているのだ。

ちなみに本当の意味での自由を獲得した1991年8月20日は、「独立回復記念日」として扱われている。


画像1

そんな独立記念日は、なぜかビスケットケーキを作るのが伝統になっている我が家。

ビスケット→サワークリーム→具・ジャム→ビスケット・・・

と積み重ねていくだけの簡単ケーキ。

メイが一人で作りました。

いつもはサワークリームだけで作ってますが、本日は独立記念日スペシャルということで、上二層分は、生クリームとのミックスというちょっと贅沢な仕上げに!


画像2

最後の仕上げもメイとサデでやり遂げました!

子どもの成長が嬉しい!(ケーキ作ってもらえるのが嬉しい!)

画像3


エストニアの人々へ

本当に独立記念日おめでとうございます。

あなたたちの心の強さには本当に感服いたします。

あなたたちの国旗がボクは本当に好きです。

またぶっきらぼうだけど本当は優しいところもすごく好きです。

これからもこの美しい自然がこのまま残りますように。

これからもエストニアがエストニアであり続けますように。



書くことを仕事にするための励みになります。