自己肯定感の低い人はなぜ他人に騙されるのか考えたのだ

自己肯定感の低い人や、発達障害を持つ人が他人に騙された話をよく聞くのだ。このことについて最近ちょっと考えているのだ。

というのも、得たイさんが双極性障害の人間に3回も騙されたからなのだ。騙され続けたおかげで知ったこともあるので、今回はそれについて書こうと思うのだ。

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煮ても焼いても食えない4種類の人間

上の画像でクロコダインが言ったように、この世には煮ても焼いても食えない奴が必ずいるのだ。どういう人間かは人によって違うと思うのだが、自己肯定感の低い人にとっては近づいてはいけない要素が4種類あるのだ。

それは、

・エセスピ
・モテテク(非モテ克服)
・間違った成功体験
・双極性障害

の4つなのだ。この4要素について、簡潔に説明するのだ。

【エセスピ】
似非スピリチュアルのことなのだ。有名どころでは、八木さや(子宮委員長はる)とかなのだ。民間療法やスピリチュアルを組み合わせて子宮信仰を生み出し、女性の信仰を集めているのだ。彼女を信じて不幸になってしまった女子がたくさんいるそうなのだ。

八木さやは一例なのだが、エセスピ教祖本人は他人を騙しているつもりが毛頭ないのだ。だから厄介なのだ。本人なりに信じた道(ただし踏み外している)を歩んで成功してしまった故に、これを才能か何かと勘違いしているのだ。その結果がご覧の有様なのだ。

元子宮委員長夫婦のドロ試合にニヤニヤしてます♡

【モテテク(非モテ克服)】
モテテク系で多いパターンは、自分がモテなかったことなのだ。それが何かの拍子にラッキーで彼女ができて、自分のたまたま実った努力のレアケースをノウハウと勘違いして流布しているのだ。

モテテク系の特徴は、彼らの教えで成功者がある程度いることなのだ。これが厄介なのだ。そして自己肯定感がある程度よりも下回ってる人には実践すらままならないのだ。金銭的なところもそうなのだが(モテテクビジネスの標準的なプランの相場が30万前後)、ノウハウの本質が相手をコントロールするところに重きが置かれているところにあるのだ。だから陰キャ系はモテテクビジネスのターゲットから弾き出され、陽キャ系はこのノウハウの養分となって性加害者予備軍になるのだ。モテテクは相手を洗脳する技術なのだ。

【間違った成功体験】
上記2つも間違った成功体験なのだが、ここで言う間違った成功体験は自分の力で切り開いてきた結果のことを言うのだ。たとえばワタミ会長・渡邊美樹が典型例なのだ。認知の歪みをゴリ押しして結果を出し、それを下に押しつけて支配するのだ。支配欲の塊なのだ。

彼らの特徴は、気に入らない人間をもっともらしい言葉で封殺するところなのだ。100%相手をコントロールするために正論じみた言葉を発するのだ。自分の気に入らない人間を潰すためなら法的手段を悪用することもあるのだ。そういう金と権力があってやろうと思えば本当にできるところが厄介なのだ。

【双極性障害】
4つの要素の中で最も厄介なのがこれなのだ。成功体験してなくてもデカいこと言ってハッタリかませるのと、病気で嘘をつきまくる症状なので、自己肯定感が低すぎると見破れないのだ。

躁状態と鬱状態の差が激しすぎて彼らの言動には必ずダブスタが発生するのだ。そして被害妄想と誇大妄想のコンボで法的手段と正論を悪用するのが常套手段なのだ。ただ、法的手段に出たところで、警察や弁護士という自己肯定感の高い職業の人にはまともに相手にされないのがオチというところが唯一の救いなのだ。

  

この4大要素は、自己肯定感の低い人だけ無自覚に騙すことが共通しているのだ。そして自分も相手も不幸になるのだ。

被害者が相手に騙される理由

なぜ騙されてしまうのか、それは自分側と相手側のそれぞれに理由があるのだ。まずは自分側の話をするのだ。

自己肯定感が低い人は、コミュ力の高い人に惹かれてしまう傾向があるのだ。何かこう、自分を救ってくれる人のような気がしてしまうのだな。しかしこれは、自分側を原因としたまやかしなのだ。

自己肯定感の低い女性の中には、(性的に)イジメられたりめちゃくちゃにされたいという性癖の人がいるのだ。これも洗脳されたがるという願望のひとつなのだ。おそらくそれは、毒親に洗脳されること=自分が必要とされること(存在価値)だと刷り込まれているからだと思うのだ。

毒親の言う通りにすることは、そうすれば自分が親に認められて自分の居場所を得ることができるということなのだ。それが生存戦略だったのだ。だから、自己肯定感が低すぎることによって自分を傷つける人に真実を求めてしまい、自分を助けてくれる人を信じられなくなるのだ。蛙化現象なのだ。

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他人に騙されるのは、自分が人間扱いされることを望まないように毒親に洗脳されてしまったからなのだ。本当は人間扱いされたいのに、人間扱いされないことに安心感を求めてしまうように脳にインプットされてるのだ。人間扱いされないことを求めるのが度を越してしまうと依存症ということになり、騙すほうと騙されるほうがお互いにそれで安心感を得てしまうと、共依存になるのだ。

得たイさんがメンクリで言われたのは、そういう人(双極性障害)に対しては割り切って接していくしかないこと(先生いわく、双極性障害は精神疾患の中でも別格とのこと)、その時に感じた違和感に対して見て見ぬふりをしないことが大事だとのことなのだ。

自分に嘘をついてはいけないのだ。自分に嘘をつくから他人に騙されるのだ。恋愛でもなんでも、その時に感じた違和感を大事にするべきなのだ。

相手を騙す加害者が求めているもの

先述のとおり、人を騙す人には相手を騙そうなんて意思は毛頭ないのだ。しかし、彼らは他人を救おうとしていて自分を騙しているのだ。他人を救おうとしているけど実は自分が救われたい、これをメサイアコンプレックスというのだ。

以下、Wikipediaからの引用なのだ。

メサイアというのは、一般的な日本語ではメシア(救世主)と言われるもののことである。この心理が形成されるのは、自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、その反動として自分は幸せであるという強迫的な思いこみが発生するとされる。さらにこの状況が深まると、自分自身が人を助ける事で自分は幸せだ(自分には価値がある)と思い込もうとする。

相手を無自覚に騙している裏には、自分で自分にペテンをかけているのだ。それもやはり自己肯定感が低いことが原因で、相手を騙すことを自分の居場所にしてしまっているのだ。エセスピは信者に、モテテクは非モテの人に、間違った成功体験の人は成功体験のない人に、そして双極性障害は自分を好きでいてくれる人に、居場所の名を借りた養分を求めているのだ。

メサイアコンプレックスの持つ挺身の精神や「誰かの助けになりたい」という使命感は承認欲求なのだ。自分の自信のなさ、自己肯定感の低さを埋めることを外に求めているのだ。アイデンティティを外に求める具体的な方法は「相手を利用する」以外にはないのだ。

得たイさんが巻き込まれたトラブルの双極性障害の相手はすべてこれだったのだ。双極性障害の人は誇大妄想と被害妄想の使い方が上手く、誇大妄想でマウントを取れると思った相手が自分の思い通りにならないと被害妄想をぶちまけて法的手段を悪用するのだ。早い話が彼らは得たイさんを利用して自分の養分にしようとしたのだ。ところが、得たイさんは自己肯定感の低さを自分の内側に求めるマインドを持っていたので彼らの思い通りにならず、そこで彼らは法的手段をちらつかせれば得たイさんを操れるだろうということで警察沙汰になったのだ。

彼らの言う「法的手段」は自分を守るためではなく、相手を支配するためのものだということの表れなのだ。それが証拠に、彼らは法的手段に出る時はでかい口を叩いていたのに、自分が訴えられそうになると発言を取り下げたりアカウントを放置したりして逃げたのだ。得たイさんは相手の法的手段に正々堂々と受けて立ち、スーツで出頭したのだ。これが自分の生きづらさを外側に求める人と内側に求める人の違いなのだ。

ホワイトブック(SA(セクサホーリクス・アノニマス)専用の文献)の一節なのだ。自分の生きづらさの原因は自分の中にあり、それと向き合って霊的(スピリチュアル的)な力によって回復していくことが重要なのだ。それを外側に求めてしまうことのひとつが、メサイアコンプレックスなのだ。

自信は自分の内側にしかないのだ。それを探していく長い旅に出る勇気が必要なのだ。

騙すほうも騙されるほうも同じ穴の狢

騙すほうと騙されるほう、共通しているのは自分に自信がないことなのだ。まずはそれを受け入れる勇気が必要なのだ。

本当の自分を受け入れてほしい人は、本当の自分を受け入れられるのは自分自身しかいないことにまだ気づいてないのだ。だから安心感を外に求めてしまうのだ。その方法が相手に共感して騙されるか、メサコンで相手を騙すかの違いだけなのだ。

しかし、自分で自分を受け入れるという考え方はとても難しいのだ。理屈ではなかなかわからないのだ。それができるようになるための理論は、依存症治療の12ステッププログラムに詳しいのだが、スピリチュアル(本来の意味での)を受け入れられなければ始まらないのだ。

自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えていく勇気を、そして2つのものを見分ける賢さを持つ必要があるのだ(12ステップの平安の祈り)。それを得るために、自分の中にある力を「信じる」のだ。そうすることによって、少しずつ意味がわかるようになってくるのだ。

自分を受け入れても受け入れられなくても、それもすべて自分の姿なのだ。それを正直に認めれば、相手を騙すことも騙されることもなくなっていくのだ。

自分も相手も騙さず騙されず、正直に生きる選択をしたいと思うのだ。

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