指輪を買った話
ルーチンの力
達成したい目標とか、日々の努力を継続させたいとき、「ルーチン」を作るといいよ、というのが自己啓発本でよく出てきます。スポーツの方が有名かもしれない。イチローがバットを回すあれ。
掌に「人」を書いて飲む、というのもその一種。やり慣れてる行動をトリガーに頭をリセットする方法論で、心理学的にも適っているらしい。啓発本でよく紹介されるのは「P」と刻まれたボタンを服に縫いつける方法。「プレジデント」の意味で、仕事の前にそれに触れ「いつか社長になるぞ」と意気を高める。(いかにもビジネス書っぽい話だ)
私は文章を書くのが好きで、日々キーボードに向かってますが、中々書き出せないときもよくあります。せっかくのお休みで自由時間があるのに、やる気が出なくてダラダラネット巡回とか、ソシャゲを開いたりしちゃう。数時間後にようやく書き出したら、何を嫌がってたのかと思うくらい楽しく、集中して書けたりするのに。
もう一つのポイント
「ルーチン」が役に立つ。本にもそう書いてある。ところがこのルーチンを始めるのがいやでダラダラするとかいう本末転倒。
最近読んだ『習得の情熱』という本にもこの話が出てくる。ルーチンを作るのは正しいけど、他の本のやり方は間違ってる。ルーチンは「あなたにとって」意味のあるもの、好きなものでなければいけない。だから、他人のやり方をなぞっても失敗する。あなたのための、オリジナルなものが必要なのです。
「おまじない」という言葉に、大学で学んでいた文化人類学が響き合って、私はこう考えた。自分も何か、書くということに深く結び付いたようなおまじない=ルーチンを作ったらよいのではないか。
オデュッセウス
最古の物語の一つ、ギリシャの英雄譚『オデュッセイア』……は知らなくても、たぶん「トロイの木馬」の逸話は有名ですが、あれを考案したとされてるのがオデュッセウス。アキレスとかヘクトールとか他の英雄は「武」でやってく中、一人「知」をメインにする、「機略縦横」が二つ名の英雄。
『オデュッセイア』は成立が古く、本で読まれたのではなく、語り部がみんなに聞かせてた物語です。劇中、オデュッセウスは次々と作り話を語る。「用心のため」とか言い訳して、息子を騙す、父親も騙す、しまいには女神アテネも騙そうとして呆れられる始末。
ほら話を語るオデュッセウスというのは、英雄譚を語る語り部自身が仮託された存在かもなあ、と思えてくる。作者が登場人物に自分を反映するというのは現在まで沢山の例があるけれど、『オデュッセイア』はその最初の一つかもしれない。そんなわけで、語り部のように書きたいと願う私は、オデュッセウスを我が守護者として讃えることに決め、かの英雄にちなんだ何かを手に入れておまじないを作ろうと思い立ったわけです。
脱線
「オデュッセウスにまつわるものって何があるかな……(検索)HONDA オデッセイ、車かあ。定価約500万円。まあ、乗らないし、おまじないに使うには大変そうだしな。他には……(検索)おお、まさに『オデュッセウス』っていう時計があるのか。これなら身近でいいな。どれどれ、えっと、ランゲ&ゾーネって、高級時計なのか。まあさすがに500万ってこたないでしょう。お値段は……ゼロが多いなあ。えっと、いち、じゅう、ひゃく……1000万円!?」(ブラウザをそっと閉じる)
トロイの木馬
あれこれ検索し、オデュッセウスを彫り込んだ古いコインとかもあったんですが、その機転の象徴でもある「トロイの木馬」にまつわるものを手に入れようと考えをシフト。トロイの木馬を象ったリングというのを見つけ、お値段も高級時計の千分の一くらいだったので購入。(ヘッダー画像)
ふだんアクセサリはあまり着けないのですが、これは身につけるのがメインではなく、「さあ、これから書くぞ」というルーチン=おまじないとして使っています。指に嵌めて、『オデュッセイア』の一節を諳んじる。こうすると、その後一時間くらい、集中して小説なりエッセイなり短歌なりを書くことが出来る。出来るということになっています。
この「出来るということになってる」っていうのがポイント。まだ始めたてですが、ずっとずっと続けて、一年とか二年とか積み重ねていけば、思い込みというか催眠術というか、本当に心理的な効果が出てくるんじゃないかなあ、と期待しています。これでバリバリ書きまくって、いつかベストセラーとか出版しちゃって、高級時計の方も手に入れられるよう頑張ります。絶対無理だあ。
※その後どうなったかというと…
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