「カープファン」であることについて

「カープファン」であることについて

広島東洋カープ25年ぶりのセ・リーグ優勝の瞬間はタイのお好み焼き屋でのテレビ観戦で迎えた。旅行しているのにわざわざお好み焼き屋に行き、そこでタイ在住カープファンの方々とともに喜びを分かち合った。決まった瞬間は、ガッツポーズしてはじけるでもなく、よしっと一つ手をたたくのでもなく、ただただ静かに泣いた。不安でしょうがなかったのが、ふっと解き放たれたようだった。思い思いに喜びを噛み締める選手、スタッフの姿を見ながら、低迷期のカープにいた人びとのことを思う。そうした選手の多くは既に野球界にはいないが、一部はコーチ、スカウト、トレーナー、打撃投手、その他球団職員など様々な形で活躍している。ほんの一握りであってもそうした人びとがあの現場に立ち会って優勝を経験できたことは幸福なことであったと思う。

今年は不思議な年になった。近頃野球に興味がない人でも、「カープ女子」なり「広島」なりという言葉を話題に出すことが多くなった。つい先日もそうだった。そういう場面で僕は「実は、カープファンなんです」とおずおずと言う。大抵、「広島出身なの?」と聞かれ、「いや、そういうわけじゃないんです」と返すといった会話の流れになる(実際、親戚に広島出身者がいるわけでも、広島に住んだことがあるわけでもない)。ちょっと前までは「最近はいいとこまで頑張るけど、なかなかねえ」だったのが、最近は「強さ」を祝福される。どうやら、広島カープは強いチームだと思われているらしい。

このような気持ち悪くまどろっこしい書き方をするのは、考えれば考えるほど自分が「カープファン」であると強く胸を張れなくなるからであり、「カープが強い」などといったことはあるはずがない、とどこかでまだ自分に言い聞かせているからだ。実際、今年もし優勝を逃したらその後一生涯カープの優勝など見られないのではないかと思っていたし、日本シリーズの試合を観ていても信じきれない。常に負けることを考えている。やはり僕は立派な「カープファン」ではない。熱心なファンであるとは言えないし、いつまでたっても信じることができないので、ファン失格だ。

でも少なくとも、カープが勝つことを常に願い、カープのことをたくさん考えていることは事実だ。負けると、その日もう何もしたくなくなり、もう二度と見ない、クソヤロウと放り出す。でもしばらくすると明日の先発の相手チームとの相性は、スタメンはどう変わるのか、リリーフ投手の登板状況はどうかなどと考えをめぐらす。でもしばらくしてやっぱりまた悔しくなる。勝った時は時間をかけて味わう。時々泣く。ネットで得られる情報をかき集め想像力をたくましくして楽しむ。そして明日の勝利のシナリオを思い浮かべる。「明日はまだ分からない」と友人にネガティブなLINEメッセージを送りつつ嬉しくて仕方がない。

自分は野球が好きなわけではないと最近思う。カープファンであるのかにも自信はないが、それ以上に僕は野球のファンではない。僕はカープを通して野球を見ているにすぎず、それ以外の野球についてはカープと比べると強い関心はない。見ないわけではないし、素晴らしいプレーや様々な逸話に興味は尽きないのだが、向き合い方が根本的に異なる。カープは野球なのだが、それを超えて、自分の生活、精神に当然のように組み込まれている。カープに起こる出来事は他人事ではなく、自分の一部を強力に形作っている。

カープの躍進とその魅力を語る上で「お金を使わなくても勝つ」のような言い方がされることがあるが、それはあまり正確な表現ではない。積極的な補強やその他の整備ができないのは今も付きまとう弱点だ。たったの1回にせよ偉大なこの優勝は、ドラフト制度の変更や地道なスカウティング、時代と戦力にあった育成方針と選手の努力、球団の経営戦略、そして偶然等々様々な要因が積み重なった結果のものであって、一面ではお金を使うことによって成し遂げられたのであり、簡単に説明がつくものではない。また、カープを応援する動機として「判官贔屓」という表現がされることも多い。しかし弱いから好きなのだ、とはどうしても認めたくない。はたから見ればそうなのかもしれない。確かに、自分にとってのカープの原風景は野球中継で巨人に大差をつけられながらこつこつと点を返し、そして結局負けた広島東洋カープであった(現阪神監督の金本がいた頃である)。ただ、「判官贔屓」という言葉では片づけたくない。カープが勝負どころでしばしば見せる脆さが嫌いでしょうがない。カープが常に勝たないと悔しい。負けてもいい試合だった、と思えることはあまりない。カープが負ける試合は全て悪い試合だ(だから、僕は野球のファンではないのだ)。

野球でも見てみるかという軽い気持ちで、テレビをつけたのだったと思う。そこで赤ヘルに出会ってしまったのが一巻の終わりで、そこからカープは恐ろしいまでに僕を掴んで離さなかった。戦後の広島に創設され、一時の資金難に際し市民からたる募金の後押しを受け、52年に再び訪れた球団消滅の危機を最下位脱出で乗り越え、低迷期を経て75年にやっとつかんだ初優勝、79年球史に残る江夏の21球のドラマを経ての初の日本一、80年代赤ヘル黄金時代、津田恒美離脱を乗り越えての91年優勝、巨人のメークドラマ、再び低迷期、新球場設立、2013年16年振りのAクラス、25年ぶりの優勝と、戦後展開された様々な物語に僕はのみこまれてしまった。個性と才能と泥臭さ、実直さに満ち溢れた彼らに出会い、彼らから目を離せなくなってしまった僕は、もはやカープからは逃れられない。自分がここまでスポーツに一喜一憂し、心を乱すことになろうとは思いもよらなかった。正直言って恥ずかしいし怖い。今にでもやめた方がいいとさえ思う。でも、どうやめたらいいのか分からない。

黄金期が来るのだろうか。野球を客観的に見ることができないのでまったく分からない。これからまた25年が経ったとしてもおかしくないとも思う。強いから応援するわけではなく、とはいえ弱いから応援しているわけでもない。たやすく切れないほどに僕の気持ちはカープに結び付けられてしまっているがゆえに、これからもじっとカープを見つめ続けるまでである。

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