何をしてきたのか、何をしているのか、何をするのか、全くよく分からない(一次帰国に当たってのとりあえずの記録)

現在、ラオスでの2か月弱の予備調査(いや、準備作業)を終えて東京に一時帰国中なのだが、帰国直後の一週間はほとんどなにもせずに過ごしていた。直接的には帰国直前に発熱してからの体調不良が理由で、食欲4割減、全身だるさに包まれた状態で寝そべって過ごしていた。
「一時帰国」なのでこちらでやるべきこともそれなりにあるのだが、今はとにかく何もしたくない。いつラオスに戻るのかも決めていない。この文章もそんな気分で書いているので、何のまとまりもない。しかし、その状態を保存してある程度さらして置こうと思うので、書いている。

出発前は大学への所属手続きが全く見通しが立っておらず、留学開始できず奨学金打ち切りもありうるのではないか、という不安に襲われ、苦しい日々を送っていた。実のところまったくの自業自得なのだが、仕方なかったとも言える(色々取り乱しつつ隠していました)。その時から考えると、当初の任務である大学への所属手続きとアパート探しの二つはとりあえず終えることができたのはとても幸運なことで、ひとまず安心している。

しかし、これが「調査」なのだと言える気は全くしない。まったくの自業自得なのだが、仕方なかったとも言える(本日二回目)。具体的なことを書く気にはあまりなれないが、バーを訪れもしたし、少なからぬ人とチャットのやり取りをし、数人と会うことができたし、数人と友人になることができた。そしてその中での経験はなかなかに面白いものでもあった(一方で嫌な思いもしたが)。

既に「調査」をしているのかもしれない。ある東南アジアの国の小さな町に住む華人の人々の中でフィールドワークをしていた人類学者がかつて調査地で、「お前はいつもぶらぶらしてばかりいるが、調査しているのか」と言われたそうだ。これを思い出したのはチャットするようになった男性から、「今日はインタビューしてきた?収穫はあった?」と聞かれた時であった。「いや、あなたとの今のやり取りが僕にとっての研究なんだ」と、メッセージにすることはなくても心の中で返す自分がいた。

しかしそれでも、「俺、『調査』してるよ!」というような自信や感慨などは特にない。むしろ「調査」の無理さを感じさせられる、もしくは、「調査」が辛いという「調査」をしたような気分でいる。
色々な地域で色々な研究をしている先達を見ると、自分のあまりの「調査」能力の乏しさに自己嫌悪の感情が湧いてくるのは事実だが、それは大きな問題ではない。自分のコアな研究関心(身体感覚と自己感覚、都市空間の配置、関係性の動態、という三つの連関について考えること)からすれば、きちっとかちっとした「データ」「フィールド情報」を素早く収集するような研究ではないことは分かりきっている。それに数か月この地に住めたという事実だけで、この自分には十分すぎる。

「『調査』の無理さ」とは何かと言えば、自分が日々生きる中で周りの存在(人や空間、モノなど)と接触し何らかの相互行為に置かれる中での、負荷や摩擦のようなものを、より濃い色でもって示された、という感じである。

人間が日々生きる中での負荷や摩擦について強く意識するようになったのは、今が初めてではない。修士課程での二年間は履歴書で書けば入学→卒業(→そしてその後また入学)という数行に過ぎないが、喉に刺さって抜けない魚の骨のようなある経験があった。修士1年の時に自動車免許を取ることを考え教習所に通っていたものの、結局自動車を見るだけで触るだけで怖い状態に陥り、日常生活に支障も出、メンタルクリニックに通うことになる。服薬を始めるとともに免許取得を一度断念し、その間に修士論文を書き上げ(こんな状態だったから、論文を書く時間は幸せな逃避の時間となった)、その後恐怖とともに再び運転に向かい、結局教習期限ぎりぎりで免許を取得することができたのだった。
悩むことでも何にもない、と考える人もいるだろう。結局免許取得できたのだから、清々しい人生の一ページ、思い出なのだろうと思われるかもしれない。逆に、こんなものは大した問題ではない、もっと辛い経験など無数にある、お前の自意識過剰でしかない、とも言えるかもしれない。
しかし、今は無風であるにせよ、事実辛かったのだ。大したことだったのだ。本当に足が震え、頓服薬を後生大事に抱えていたのだ。人間が(自分が)生きている生活が、繊細なバランスとともに営まれていることを意識させられる経験であった。
(この時のことを起点に考えたことは後々何かにつなげようと思っている。モノとの不調和の経験についての研究、学習、運動とメンタルヘルスに関わるミクロ人類学、とでも言えるかもしれない)。

この経験も、そしてここ数か月での「『調査』の無理さ」に関する経験も、自分という存在の内側のよく分からなさを抉るような、自分の外側を取り囲むノイズ、もしくは"ざらざら"に頭を突っ込むようなものであった。特にかつて、「ラオス都市部における同性愛者の自己認識、欲望、関係性の形成に関する人類学的研究」という名を付けた研究行為に自分を突っ込むことは、(一つの属性・特性として)性的少数者である自分自身の来し方行く末今の姿を、ますますよく分からなくしてしまったと言える。

一応自分はある程度公に「バイセクシュアル」と名乗ってはいる(もちろん面と向かってそう名乗れない相手もいる)。しかし、それはあくまで「仮の乗り物」であって、自分の性については「分からないことが多い」というのが正直な感情である。「僕のセクシュアリティ」という言い方ができるとすれば、そこにはもっと色々な要素が付け加わっている(あまり言えないこともある)。そして、僕はあまり「ゲイコミュニティ」みたいなものには入っていかなかったし、アクティヴィズムのようなものに関わったことがあるわけでもなかった。加えて、ゲイアプリで誰かと会うこともしなかった(調査をするとなって、初めて使った)し、セックスもしたことがない。
僕は決してアクティヴィズムや「コミュニティ」に意識的に距離を置いていたわけではない。距離を置くのではなく、どうしていいか分からず、傍らでじっと見ているしかなかったというだけだった(初めてプライドパレードに行ったとき、ちょっと離れた道端で突然涙がこぼれてどうしていいかが分からなかった。未だにあの時の感情がなんだったのか、説明がつかない)*1。それにセックスだって、奥手だとかでもなく、嫌いだとかでもなく、何故かしなかった。
でもこうした自分の「ゲイ(バイ)ライフ」を、中身、実体のないもののように言われたくはない。「認めるのが怖いだけ」とか「難しく考えすぎだ」とか、決して言われたくない。そして、同性とセックスしたことがない自分のような存在が、大方の「男性同性愛者」についての研究の中で等閑視されているような気がして、若干の不満を抱いていた。僕にとってはものすごくざらざら、どろどろと流れてきたものなのに。
「同性愛的なもの」と僕との出会いは、台湾や日本の男性のヌード画像や、短い小説と美少年のエロティックな絵を載せていたブログであり、そこからゲイポルノやニュース記事へと向かい、しばらくして友人や家族にカミングアウトするようになり、そして「セクシュアリティ、性的少数者についての人類学的研究」研究テーマに選ぶという道筋で、僕の「ゲイ(バイ)ライフ」は流れてきた。

フィールドでゲイアプリを通じて出会う人々とのやり取りとともに、僕はこうした自分の来し方を思い起こしていた。「タイプ」や「セックスの位置(タチ、ウケ)」などを事細かにボタンで選ぶことができる、いや、選ぶように強いてくるアプリもある。「Hi」、そして「top or bottom?(タチ?ウケ?)」と投げかけてきて、僕が「I'm not sure」と答えるとそのまま消えていく多くの男性たち(一度「Never Have Sex with Men?」と聞かれて「Yes」と答えたら、「Nice Guy!」と言われたが笑)がいた。

自分はこうしたやり取りに、全くと言っていいほど縁がなかった。こうした領域に関して、僕はあまり「当事者」とは言えない。しかし「同性愛的欲望」を持った人間であるというプロフィールによって、僕と彼らはつながってもいる。そしておそらく同じようにスマホを手に取る男性たちにも、彼らの来歴がある。
「調査者としての欲望」でもってこの領域(もしくは「調査」というフェーズ)に頭を突っ込んだ僕は、居心地悪くさまよっている。それは確かに「他なるもの」との出会い―まさに人類学している!!(ここで舞台中央に、目を輝かせる人類学者役の僕が一瞬フレームインするが、すぐに消える)―なのかもしれない。しかし、それが僕には、なかなかにチクチクするし胃がもたれるし、しんどい。
こうやって書いてきて、自意識過剰な人間の「自分は特別だ!」という戯言のように思われるかもしれない。しかし日々生きる上での感覚のフィルターを通して感じるものの中に、もしくは(生きているということを映像に喩えたとすれば)日々カメラのフレームを通して映し出される映像の中に、自己という存在の揺れや摩擦の痕跡は確かに映り込んでいる。その小さな痕跡をとりあえず観察しスケッチを重ね、そこから出発して考えていくことに拘らざるを得ないのだろう。(自惚れだとか自意識過剰だとか、古臭い「自己」概念への執着だとか言われようと)おそらくそれが自分にできることなのだろう。
そしてますます、自分は何をしてきたのか、何をしているのか、何をするのかが、分からなくなるのだ。

(2019/1/30以降、思いついたときに、加筆修正しています)

*1 そういえば、脳神経学者のアントニオ・ダマシオが『無意識の脳 自己意識の脳』とかで、感情が既にあって涙が出るというのではなく、感情(feeling)とは外に現れる情動(emotion)を感じることである、と書いていたことを思い出す。身体に現れた変化に関する脳の中の身体感知領域にできた「身体マップ」が基盤となって感情が生じ、行為を生み出し、再び身体的変化が引き起こされる、というループの中で、涙のような身体的な現れと、意識的な感情とが連動している、という考え方だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?