遠野日記:遠野は日本のコペンハーゲンちゃうかな?

 遠野日記3日目を書いて、その後が途絶えていた。まずはおっかけて書いておこう。

 1日目。夜に到着してあまり動けず。稲村さんとビールを飲む。

 2日目。スーパーで買い物。笹村精肉店。

 3日目。遠野日記3日目に記述した。ダッチオーブンで料理をして楽しかった。

4日目

 多田さんに米通りの炭窯を見せてもらった。集落の人が自分たちで作ったという。素晴しい。

 川がわかれるところに、水神様。何の目印も無いところに、ポツンと神様が置かれている。この美しさ。

 早池峰神社に行き、交流館で神楽の舞いを見た。このあたりから時間感覚がおかしくなる。早池峰神社は附馬牛のさらに先にいった山の中。その手前に交流館がある。到着して、まずは撮影。もう日が暮れるが、その暗闇の中の早池峰神社も美しい。戻って神楽の舞いを見る。これか!これがあの剣舞か! 佐々木大輔さんが、悪路王剣舞にこだわっていたが、その剣舞というのはこれのことだったのか。とにかく濃すぎてどこから書けばいいのかわからないが、早池峰神楽の継承者たちが、目の前で舞いの練習をしている。幕をめくってその真ん中から現われたり消えたりする。5才くらいの子供も舞いを踊っている。剣舞のプリミティブな動作が美しい。とにかく素晴しいと思ったのは、その踊りには正解があるということだ。思ったことを思ったとおりに踊るのではなく、過去から継承された、正解のある踊りを忠実になぞれるように練習し続ける。親から子へ、孫へ。ひたすらに継承する。そのことによって、ようやくある踊りは継承される。だってそれ以外には継承される方法は無いから。このプロセスを何世代繰り返してきたのだろう。記録に残る範囲で500年くらい。また、幕には大同元年と記述がある。1216年前ということになる。これはほんまかいやという気がするし、記録が残ってない以上、1200年前から舞いがあったことを証明することはできない。だが、神楽の後の飲み会で、さらっと言っていたことは、縄文人の時代からずっと踊ってたんじゃないの?ということ。おそらくそうだと思う。というよりも、縄文人が踊ってなかったことを想像する方が難しい。

 神楽の練習が終わり、23:00ごろになっていた。本番の神楽では、18:00くらいに始まり、24:00以降も続けられるらしい。6時間以上踊り続けるのか。踊りを踊る人は交代するためそこまで疲れるわけではないらしいが、とはいえこの時間感覚で舞いを踊るのか。

 僕らのネクロマンシーはこちら http://numabooks.com/awizardoftono.html

5日目

 前日の遅くまで踊りを見て、ゆっくりしてたんだっけか。夕方からインタビューを受ける。Facebook Liveで7人くらいが見ていたらしい。こういうことをしていると、いったい俺は何をしているんだろうと思って、少し愉快な気持ちになる。

6日目

 午後、皮膚科の医者にいく。天国と思っていた、野外のダッチオーブンで食事してたときに、ブヨに刺されていたらしい。明日がどんどん腫れてくる。金曜日に刺されたところがどんどん腫れていくというのだから、ブヨの毒の力はすごいもんだな。と思いつつ、薬を処方してもらう。ようやく少し良くなったかな。

 前田酒店でスナモビールを買う。あと、冷凍されている生のどぶろく。

 笹村精肉店で、また短角牛を買う。あと、ラム肉を固まりで買う。

 その目の前の大徳屋麹店で味噌を買う。おいしそうだ。

 夕方、あんべでジンギスカン。これはうまい! 札幌のダルマが一番好きなのだが、それにも負けないくらいのおいしさ。とはいえ、締めのお茶漬が無いんだよな。これがあるからダルマはやめられない。

 あんべから戻る途中で、ホタルを見る。こんな街中にホタルの再生をしているところがあるのか。たくさんのホタルがきれいに光っていた。残念ながら、動画では撮影できず。静止画を撮影しようと思ったが、操作がうまくできずにあきらめた。

https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/9/8/64116

 部屋に戻り、みんなで部屋飲み。佐々木大輔さんとZoomでつなぎながら。いろいろ教えてもらった。noto general store。要。暮坪かぶ。

 短角牛を焼いてみんなで食べる。これはうまい。他、もろみや味噌、大根など、買ってきたものはだいたい当り。

 山岡さんの将来について、みんなで議論する場になっていた。

7日目

 昨日、家冨さんに誘っていただき、映画監督の福永壮志さん、プロデューサーのエリック・ニアリさんと、遠野巡りを同行させてもらう。エリックさんは、「Ryuichi Sakamoto: CODA」のプロデュースなどを手掛けられたそうだ。最近の坂本龍一さんの話をする。neo君が立派な映画監督に育っているらしい。

 早池峰神社を撮影。遠野ふるさと園で建物を見る。遠野で馬を育てている岩間敬さんに話を聞く。

https://www.okamura.co.jp/magazine/wave/archive/1311iwamaA.html

 午後は、電動自転車をレンタルして街を進む。続石を見にいく。しかし、雨が降ってくる。雨の中を自転車で進み、徐々に体力がうばわれていく。お寺で、天女のはごろもと引き換えにした布を見せてもらう。唐草模様。それにしても寒かったなー。7月中旬にこれだけ寒い思いをするとは。一旦帰宅する。

 夕方、小林伊智郎さん、小林ちえみさん、多田さんと、魚っこやで食事。ウニがうまかった! 水ウニは、要するにとれたてのウニをそのまま食べる。うまい。ウニの焼きオニギリもうまかった。子供のころに毎日のように食べていた焼ウニを思い出した。

https://hirudoki.net/iwate-gokkoya/7690/

 その後、夕方、小林伊智郎さん、小林ちえみさん、多田さんと、魚っこやで食事。ウニがうまかった! 水ウニは、要するにとれたてのウニをそのまま食べる。うまい。ウニの焼きオニギリもうまかった。子供のころに毎日のように食べていた焼ウニを思い出した。

 その後、noto general storeに行く。ガソリンスタンドを改装したレストラン。とても雰囲気が良かった。僕らのネクロマンシーを置いていた。

https://www.facebook.com/notogeneralstore/

 その後、「トマトとぶ」に行く。福永さんらが飲んでいる。福永さんに、映画の話をいろいろ教えてもらう。今村昌平。うなぎなどで有名。その今村監督の映画が好きなのだそうだ。イベリアの白い血について、いろいろとお聞きした。

8日目

 ちょうど一週間が経過したわけですな。いろいろと話を聞いて、山口集落に行くのが良さそうということになった。自動車を借りられるとのことで、その条件として一日保険に入ることだったので入ろうとしてみたが、挫折。電動自転車がいいよというおすすめだったが、クロスバイクがあったのでそれをお借りして移動。正解だった。

 山口集落周辺にむかう。その途中、山にむかう道があり、上れるようになっている。地図を見ると、なにもない。地図に表記がないので説明が難しいのだが、土淵柏崎の山神様である。そこを上っていくと、見晴らしのいいところに出た。これは素晴しいなぁ。というか、地図に無い道、社がたくさんある。楽しいが、説明に困るな。

 この日、山口集落周辺を撮影しまくって、ここは正解だった。山口の水車とかその周辺ということ。といっても、何かある感じを探すのはとても困難だった。要所には看板があって、どこに名所があるかはよくわかる。その通りに移動して、巨石や建物を見る。佐々木喜善の生家を見る。といっても、ほとんど満足はいかない。どこか、観光名所として整備された、わざと残された場所であったり、または単に何も残されていなかったり。ぐっとくる感じは無い。

 だが、山口孫左衛門の跡地はずっと来た。ここは、跡地であって、何もない。あとには、井戸と墓が残されているだけという。つまり、看板は残されているが、そこは単に草原のようになっているだけである。理由は、その山口孫左衛門の二十数人が、きのこの毒にあたって、7才の女の子1人を残して全員死んでしまったという。https://audiobook-edo.com/nihonbungaku/wordpress/?p=32

 まぁ、要するにキノコの毒で全滅してしまったということなのだが、その後の展開が残酷である。7才の女の子が1人生き残ったわけだが、その家に貸しがあった、などといって、残った財産を周囲の人たちがあっというまに持っていってしまったのだという。https://audiobook-edo.com/nihonbungaku/wordpress/?p=33

 うん。そういうことだよね。遠野物語は恐しいというが、何よりも恐しいのは、生きている人。そう思った。

 福永監督におすすめしてもらった薬師堂にもいった。ここはいいですね。趣がある。

山口集落の説明がある  https://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,47707,c,html/47707/20190516-110145.pdf

 その後、デンデラ野(蓮台野)に移動。ここは姨捨山伝説が生まれた場所という。行ってみる。

 どんな場所か知らなかったが、ここにポツンと竪穴式住居みたいな家が立っている。「あがりの家」というのだという。ここに捨てられた老人が住んでいた家を模して建てているのだろう。うん。たしかにここで住んでいたら、姨捨山という感じがするね。

 ただ、そこは少し高台になっていて、そこから下の平地を見下ろせるようになっていた。ここに住んで、平地を見下ろしながら生活していたのだろう。じっと考えこんでしまった。

 そこから、打ち合わせがあったので戻ろうとする。が、オンラインでさっと打ち合わせが終わってしまう。これなら、山崎のコンセイサマも見に行けるだろう。と思って、もう暗くなりそうだが、行ってみた。

 これが正解。コンセイサマ(金精様)というのは、要するに男根崇拝である。男根の形をした巨石が祭られている。そこに行くまでの道のりが、ゆるやかな小路になっているのだが、その路傍にちょこちょこと、それなりの大きさの男根の石が配置されている。いいね。ペニス最高。

 そして、その横には、男根だけでなく、女陰を模した石も飾られているではないか。これが自然にできた形なのか?と思うほど、きちんとした女陰だった。陽石と陰石というんですね。実に見事だった。 https://ameblo.jp/dr-hirokon/entry-12073330987.html

 しかし、それにしても、これほど見事な造形物が、「明治の神仏分離・拝仏毀釈運動」で「淫祠(いんし)邪教」の代表的なものとして取り締まられ、膨大な数の石神が破壊され消滅してしまったのだという。なんとももったいない。かつての「正しい」田舎の風景を見てみたかった。こんなのがそこらじゅうにあったんだろうな。

 それで、奥まで行ってみる。社の中にある男根も見せてもらう。やー素晴しいなと思っていたが、ふと奥を見ると、妙な山合の防空壕のような場所がある。東北大学遠野山崎地震観測点「山崎地震観測所」だった。なるほど、このような人の来ないところにあえて設置するのだなと思った。 https://blog.goo.ne.jp/tosizo_1975/e/9af878975da62c691ed648767172a469 

http://msystm.co.jp/blog/20170422.html

 それで、説明プレートをよく読むと、その奥の山の山頂には、「賽の河原」があるのだという。そうか、この厳重に冊がされているむこうには、賽の河原があるのか。そこで、生(性)と死が、ひとつながりにつながっているのか。そう合点がいった。この奥に行ってみたい。賽の河原を見てみたい。気持ちは岡本太郎である。

 そう思って帰路につくのだった。

9日目

 朝、打ち合わせなどしていた。午後、遠野市立博物館に行く。門前払いにあう。遠野物語の初版本のレプリカを買う。遠野観光協会にいって聞く。親切にいろいろと教えてもらう。2代目カッパおじさんがいろいろとよく知っているようだ。翌日に聞くことにした。

 山崎金精様の奥の賽の河原は、すでに30〜40年くらい?誰も入っていないそうだ。そのため、道が無くなっていて、普通に探しても見つからないだろうと。むしろ、同じような場所は他にもいくつかあり、貞任高原のウインドファームの下にある。ここであれば見つけられる。ただし、場所を知ってないと無理(地図に表記は無い)。とのことだった。なんとかして見に行きたい。

 それで、夜は、要で食事。佐々木要太郎さん。ここは当りですわ。本当にすごいです。遠野で一番行かなくちゃいけないところは、ここ。東京と言わず、世界中から来ているらしい。それはそうだ。1人16,000円なのだが、この値段を聞くとぎょっとするが、食べ終わってみたら、むしろ安い。世界最高峰の食事と言っていい。間違いない。それがこの値段で食べられるとは。

https://colocal.jp/topics/lifestyle/people/20190701_127147.html

 聞くと、たまたま偶然キャンセルが出たのだという。通常は、宿泊しか予約を受け付けていない。夕食だけではだめなのだそうだ。そういう意味では、大変ラッキーだった。

 帰り道、歩いているとギターの音が聞こえてくる。ちょっと中を見てみると、壁中にギターが並べられている。ギターの修理を請け負っている鈴木さん。むちゃくちゃ面白い人だった。遠野の地元の人から、Commons Spaceの評を聞く。真面目にやれと。なるほどなー。まぁそうですよね。

 その後、トマツとぶによると、人力車で移動しているYouTuberや、銭湯のお風呂を作って移動している方がいる。濃い。今日はすごく濃いわ。

 その後、オノヒヅメのところで、noto general storeのご主人にあう。おー、ここで飲んでいたのか。オノヒヅメはいつも予約が一杯で入れないんですよね。土日は入れるかもとのことだけど。

 そういえば、遠野に最近できたというジャズバーの名前が、「ブリューノート」だと。ブルーノートと、ビールのブリューをかけあわせたんですね。こちらも土日しか営業していないとのことで、行ってみたい。

 などといいつつ、そろそろ本格的に映像を編集しないといかん。遠野日記、またしばらく空いてしまいそうです。

遠野は日本のコペンハーゲン?

 それで、標題の件について。遠野が日本のポートランド? 遠野が日本のチベット? などと言われてよくわからなかった。が、一番これが近いかもと思ったのは、遠野は日本のコペンハーゲンだ。間違いない。

 new nordic movementについて聞いたことがる人は少ないかもしれない。だが、nomaは聞いたことがあるんじゃないか。世界レストランランキングで1位になった、デンマークの名店。

ここから先は

1,330字

¥ 1,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?