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自分でかけた自分への呪い

わたしはずっと、自分で自分に呪いをかけていた。
他者からの好意を素直に受け取れないという呪いだ。
人が生きている上で、完全な孤独ではない限り、
誰かと親密になったり、ああこの人のここが好きだな、
一緒にいると楽しいなと思える人と少なからず出会うと思う。

そういうとき、わたしの謎の自尊心の低さから、
相手のそういう気持ちを、いやいや、そんなことあるわけないやろと
無下にしてしまうことが何度かあった。
それは根深く、相手からの好意に気づかないくらいの時もあった。

せっかく、近づこうとしてくれている相手を無意識に拒否してしまう。
そうすると、人は去って行ってしまう。当然のことだが、
ああ、また去って行ってしまったと、被害的になっていることがほとんどだった。
ずっとその繰り返しで、自分で自分に呪いをかけていた。
そして、「自分は人から好かれない。だから人はわたしを置いて去っていく」
という信念を現実にしてきたところがあるのかもしれない。

「友だちになって」と言ってくれたあの子や、
「すきだよ」と言ってくれたあの人や、
「一緒にマクド行きたい」と言ってくれたあの子、
優しく柔らかいボールを投げてくれていたのに、
わたしはそれを笑顔でそっと横に置いてきた。

だから、もう失敗したくはない。
大切な人が自分から離れていかないように、
しっかり繋ぎ止めておきたい。

どうすれば、相手からの「好き」を受け入れられるようになるのか。
ずっと心の中で、いやいやそんなことあるわけないやろと
相手の気持ちを疑ったまま、ありがとうと伝えるしかないのか。
そのままだとまた人は去って行ってしまうのではないか。
そんな話を彼は真剣に聞いてくれて、
「どんどん自然になっていくんじゃない」と言った。

お互いに好きな気持ちを共有し続ければ、
この人は自分のことが好きなんだと自ずと受け入れられるものなのかもしれない。
それはきっとわたしからの「好き」という発信も必須項目なのだろう。
自分の相手への好意を伝えて、それが受け入れられた時の安心感は、
「人から好かれないこんな自分も、人を好きになっても良いんだ。
人はわたしを置いて去っていかない」という信念に変わるだろう。

彼といると、また違う自分に出会えるかもしれない。
呪いがとける日がくるかもしれない。