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月命日で誕生日。すこしずつ、変化する。

 年末に父が亡くなってから4カ月。おいおいと泣くこともなく来てしまった。正直なところ約二カ月の入院中の方が精神的には「よよよ」となっていた。でも波はある。ときどき「はっ。どうしよう。もういない。お父さんいなくなっちゃった」と突然脳をかすめることがある。これが喪失感というものなんだろうか。よくわからないな。
 父の晩年(そうか、あれは晩年だったのか)、医療者の前では認知機能が落ち気味の老人らしい看護を受けていたけれど、家族に言わせてみれば「そう見せかけて実はしっかりしてる。とくに事務処理関係は」という印象だった。本当に生涯事務方のヒトで、親戚のお葬式で父がいると安心だった。こないだジェーン・スー原作のドラマにもあったけど、父のお葬式で活躍する父がいないことが不思議だった。
 とはいえ最晩年の父は口数がいつもより少なく(ワタシと母の口撃は老人力を発揮して無視するくせに、兄や娘婿の男性勢が来ると喜んでおしゃべりするという差もあったが)、基本はテレビも見てるんだか見てないんだか、ラジオも聞いてるんだか聞こえてないんだか、とにかく寝てばかりいたのはたぶん、あちこち痛かったんだろうな。衰えるから足腰動かせと言うと、少しおどけて足踏みしてみせていたけれど、末期のご老体で強がってみせたのだろう。それほど入院したくなかったんだね。いろいろごめんよ。
 後悔はつきない。が、後悔ばかりの時期からは少し変わってきたような気がする。松山くんがマスターズで優勝したニュース、父が生きていたらなんて言ったかな。ゴルフ観戦は好きだけど、痛みやらで見てなかったか。「知らん」とか言われて「なにさ」って言っちゃってたかも。なんて「もし生きてたら」ってことを考えるのも余裕が出てきたのかな。
 実家が札幌なので、納骨は雪解けを待ってとなる。たぶん母は早いこと落ち着きたいと思っているかもしれないが、新型コロナの影響で少ない親戚も集まりづらく、ゴールデンウィークにとの目論見は外れてしまった。しかたがない。焦ることはないさ、ママといっしょがいいだろうし。
 生きていたら89さい。おめでとうございます。ん?もうこの世にいないのに祝うのか?いや、花まつりだってクリスマスだって祝うんだもの。いいよね、お父さん。

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