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新型コロナウィルス蔓延で考えたこと ~Social Distancingと欲~

 新型コロナウィルスの感染拡大の要因の一つとなったのは人間同士の密集度が極めて高いためにウィルスが広がったことが挙げられる。
 ショッピングモールが立ち並び、移動する際には空港やバスターミナルで人と接近、各種イベントでの濃厚接触などなど数え上げたら密集する場はキリがない。今のこの時代、どこに行っても人との接触は避けることができない。
 人間同士の接触を抑えるため、各国政府が声高に叫んでいたのはSocial distancing。もともとは心理学の言葉のようで日本語にしにくい単語なのだが、つまり「人混みをさけ、人と人との間隔をあけること」。最低でも1メートルはあけないと飛沫で感染するのだという。ある日本語の記事で読んだのだが、咳やくしゃみをした場合は5メートル先にまで飛ぶといい、マスクをしない限りは感染拡大に拍車をかける。
 このSocial distancingは各民間企業でも実践された。例えば、会議や食事をする際は隣の人と1メートル開けて座ったり、廊下で歩く際も数メートルの間隔をあけるようにさせられた。マレーシアでは移動制限令が出る前には一部映画館では隣の席を空席にして座るようにする措置が取られた。飛行機のなかでも同様の措置となり、必然的に輸送能力が半分に下がった。
 個人間の間隔をあけて感染拡大を防ぐ措置をさらに大きくしたのが、自宅隔離であり、政府による外出禁止令であり、極めつけが先に話した「鎖国」でもある。マレーシアでは州をまたぐ移動も原則禁止され、マレー半島からボルネオ島の東マレーシアへの往来も禁じられてしまった。つまり、全員が自宅や国家内に引きこもってしまえば、感染拡大は抑えられるという発想。「引きこもり」は感染を拡大させないのだ。各国国民が全員引きこもれば、感染は免れる。この時代にかなり原始的な発想なのだが、しかし、これで本当に効き目があるのだろうか。ある程度はあるのだろう。
 私はいつも19世紀以前の世界を考える。現代と比較して。そもそも20世紀に入ってからの感染者の増加と拡大は便利になったがゆえに広まってしまった結果なのだと思う。19世紀以前の世界は、交通は船や徒歩、馬に限られ、ショッピングモールもコンビニもない。市場はあったが、ほとんど生鮮食品に限られており、今の時代に比べれば不便であった。伝統的な市場では食べ物を求めに来る人がほとんどで、それ以外は物理的にモノがなく、人々はシンプルな生活を営んでいたのだ。人間にとっては実は、食べ物や衣服以外はほとんど必要ないのではないか。
 現代はいろんなモノが溢れかえっている。食べ物を食べ、衣服を着る以外の行為は自分の欲を満たすためだけの行為と言っていいかもしれない。
 今、佐々木典士さんのミニマリズムの本を思い出した。詳細は彼の本に譲るが、要は欲を最小限に抑え込むと彼のような生活ができるのだ。部屋のなかはシンプル。彼は本当に必要な食べ物を食べ、必要最小限のモノだけで生活している。おそらく無駄な外出さえも抑えているに違いない。ミニマリズムはモノや時間などの使い方をも考えされてくれる仏教的な思想でもあるといっていい。
 感染症の拡大から考えるに、人間の欲の膨張でさまざまな活動と移動が増えた。ミニマリズムの観点からすると、これら活動や移動も本当に必要なのか。究極的には資本主義の発展で感染症も拡大したといえるのかもしれない。世界の各国が引きこもりを始めたことで、人間各個人はよくよく自分を見つめ直し、生活を改めるきっかけを、もしかすると神は与えているのかもしれない。

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