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不思議なマレーシア社会

 今私が住んでいるマレーシアという国は不思議な国です。自分が住みたい社会生活圏を選択できるからです。

 マレーシアはさまざまな民族が暮らす国です。確かにインドネシアもタイもフィリピンも多民族が暮らしている社会なのですが、マレーシアの場合は各民族の人口がそれぞれ多いため、マレー人、華人、インド人のコミュニティー、つまり社会生活圏から成り立っています。これはほかの国ではなかなか見られません。

 共通語のマレー語や英語がだいたいすべての人に通じる(いずれかを話せない人は結構います。また本格的な英語ではなく、総じて英検3級ほどのレベル)のですが、例えばマレー人はマレー人コミュニティー、華人は華人コミュニティー内でそれぞれ生活しています。別段、特定の民族が住む地域があるわけではないのですが、自然発生的にマレー人が多いところ、華人が多いところというのもあります。これは言葉がそれぞれ違うため、自然に同じ言葉を話す人たちが集まってできたのでしょう。

 コミュニティー内には多くの同じ民族が住んでいるので、言葉を変える必要がありません。例えば、マレーシアにはあちこちに中華レストランがありますが、これらでは中国語(クアラルンプールなら広東語)でオーダーし、中華料理が出てくる。マレーシアにいながら中華圏さながらの疑似体験ができるのです。中華料理店では豚や酒を扱うので、ここにはマレー人がまったくおらず、店内で接触することはありません。つまり、マレー語を使うことはないのです。ウェイターは外国人が多いのですが、中国語を扱う人も多いのです。


 一方、特定のローカルの社会に入ると、周りが見えてこなくなります。私の場合、最初にマレー人のなかで生活をしていました。毎日、マレー料理を食べ、マレー人のテレビチャンネルを見て、マレー人の友人たちとマレー語を話していました。しかし、一方でマレー人の生活にどっぷり入るとほかの社会生活圏がほとんどみえてこないのです。

 数年後、私は華人コミュニティーのなかで生活することにしました。このなかでも中華料理を毎日食べ、華人たちと暮らしてきましたが、やはり感じたのは、華人の社会生活圏に入るとマレー人の間で何が起きているのかわからなくなるのです。断食月がいつ始まるかも知らないままになります。これはインド人コミュニティーに対してもそうで、インド人と社会生活をともにしない限り、インド人が好きなテレビ番組や映画、食べ物、有名人といったことは同じ土地にいながらまるで入ってきません。

 マレーシアの場合はテレビや新聞も言葉が違うため、必然的に見るチャンネルや読む新聞が違うのです。ニュースはどの言語でも報じられるのですが、芸能関連などでは華人の間の有名人をマレー人は誰も知らないということが発生します。つまり、言葉が統一されないため、民族を隔てた国民的俳優や歌手がマレーシアにはいないのです。

 こういった現象は日本では起こりえないでしょう。日本語が北海道から沖縄まで通じるので、どこにいっても誰でも木村拓哉は知っているし、NHKの紅白歌合戦も誰もが知っています。しかし、マレーシアではこれは
ありえないのです。


好きな社会生活圏で
 これを逆手に取ると、外国人である私たちは好きな社会生活圏を選択できます。ローカルは生まれながらにして特定の民族に属しているため、難しいのですが。

 日本国内だとどこでも日本語社会なので、選択の余地がありませんが、マレーシアの場合は華人社会が気に入らなければ、マレー人やインド人社会に飛び移ることができます。ある社会生活圏に入って無理して生活するよりも別の生活圏に入れば全然違った生活が楽しめる。もちろん2つの生活圏を行き来しながら生活することも可能です。

 私の場合はこれが精神的に楽でした。こういう選択が可能であることを発見したときは心底気が楽になりました。自分に合った生活の仕方を自分で選択でき、気に入らなければそこには入らなくていいのです。生活環境をガラッと変えると、精神的にも刺激が与えられ、元気にもなれます。

 また、特定のコミュニティーに入らず、日本人社会だけで生活するのも可能ですが、これはあまり勧められません。各国には多くの日本人が住みますが、日本以上に狭い社会(マレーシアの場合は現在、2万人弱)なので、精神的に疲れてしまう可能性があります。会社の上司やお客さんの友人を直接知っていたり、買い物先で上司やお客さんに偶然会ったりもしてしまうのです。


 いずれにしても、マレーシアの場合はその人の都合と好みによって生活圏を自由に選ぶことができる不思議な社会があります。特に言葉ができるとその幅はぐっと広がります。英語だけできても一定の人たちとしか意思疎通ができませんので、できるだけその民族の言葉を話すとより楽しくなります。

 特にいまのマレーシアの若い世代は英語をあまり話せなくなってきており、マレー人と華人との間のコミュニケーションがだんだん途絶えてきている感もあります。逆にいうと、英語ができなくてもそのコミュニティーで生活が十分できるという証でもあるですが。

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