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タイ国境沿い地域の話

マレーシアのマレー半島の東海岸はタイと国境を接しています。クランタン州が主に接していますが、タイ文化は相当に強い影響の地域で、先日聞いた話などをまとめます。


マレーシアの中のタイ

 クランタン州は西側をタイ国境を接しています。その国境の長さは東シナ海に出るゴロ川の支流沿いに約300キロほど。この支流は浅瀬で、両国の密輸の宝庫となっていることは有名です。
 
 歴史的にクランタン州は数世紀にわたってタイの影響を受けていました。一時期はタイの直轄で、1909年に英国がもぎ取り、1957年にはクランタン州はマラヤ連邦の独立に参加したのです。

 さて、マレーシアの中でもタイ語をネイティブとするシャム人(タイ人とはいわず、タイの旧名シャムを使っています)が住んでいるのはクランタン州、マレー半島西側のクダ州やペルリス州です。統計的にはクダ州のシャム人人口が最も多いようです。
 
 クランタン州の中でもシャム人が多い地域は、州都コタバルから国境までの間にあるトゥンパット(Tumpat)郡です。コタバルからは水がいつも濁っているクランタン川を越えた地域になります。クランタン州全体はマレー人(つまりイスラーム教徒)が95%を占めていますが、この地域はシャム人が多く上座仏教の寺も多くあります。その周りを囲むようにシャム人が住んでいます。トゥンパット郡の人口は約18万人ですが、そのうちの3.3%はシャム人だそうで、つまり、6000人ほどです。

飛行機からみたクランタン川。建物が密集しているところがコタバル。

 人口はそれほどではないですが、トゥンパット郡はコタバルやクランタン州の街と比べると雰囲気がまったく異なり、まさにタイなのです。仏教寺院が多いことやタイ文字が各地で見られるなど視覚的な影響も大きい。そして、食べ物もタイそのもので、ここはマレーシア国内で本場のタイ料理が食べられるところでもあります。

 先日もトゥンパット郡に行ってみました。たまにいくタイレストランで食事をしましたが、やっぱりタイ本場の味なんですね。トムヤンクンもおいしいし、ソムタムもある。タイ独特の飲み物もあったり、シンハービールがあったりとなかなか雰囲気が楽しい。おそらくあの食材は目と鼻の先にあるタイから持ってこられたものなのでしょう。

クランタン州のみのタイ語

 そんな中、先日シャム人と話していて驚いたことがあります。クランタン州のシャム人たちはタイ語は理解しますが、実はこれを土台にして潮州語を混ぜたChe Heという言葉を話しているのだそうです。

 これはネットで検索しても出てきません。この言葉は、シャム人が言うには、このトゥンパット郡とコタバルのシャム人の間でしか介されない言語で、タイ南部でもほとんど通じないとか。シャム人が多いクダ州でも通じないのだそうで、つまり6000人ぐらいのみが使っている言語なんだそうです。これだと絶滅危機言語ということになってしまうのですが。何でこの地域のみの言葉が存在するのかわかりませんが、タイ語の一方言とも思えず、研究してみる価値がありそうです。

 シャム人らのほとんどが仏教徒(一部にイスラーム教徒もいます)です。この地域にはタイ学校もあり、タイ本国のシラバスを使って教員も向こうから連れてくるそうです。このタイ学校を卒業すると、タイの学校を卒業したレベルとみなされるそうです。無論、構内ではタイ語が話され、生徒たちはタイ文字も操ります。

 クランタン州のシャム人の店に行くと、タイのテレビやラジオを視聴できます。アンテナを立てれば自然と入ってくるので、タイの地上波のテレビはそのままそっくりと視聴できる。これは違法なのかどうかはわかりませんが、マレーシアのつまらないテレビなんかよりはシャム人たちはバンコクから送られてくるドラマなぞを見て楽しんでいるのです。
 ちなみに、クランタン州のマレー語はKelate(クラテ)と呼ばれ、他の地域の人は理解できない言葉。シャム人はマレー語も話せますが、このクラテも操ります。

万華鏡社会のマレーシア

 マレーシアのイスラーム教の強いクランタン州にいるのですが、コタバルの西側を流れるいつも褐色のクランタン河を越えるとタイ文化を味わえるのです。マレーシア自体が多民族社会で成り立っていますが、この地方のシャム文化を見ると、マレーシアというのは万華鏡社会なのではないかとつくづく思います。

 つまり、出身民族、宗教、言葉などの組み合わせによってマレーシア全体が異なって見える社会。僕は日本人でエセ仏教徒で日本語、英語、マレー語、タイ語などを操りますが、その観点から見るマレーシアと彼らが見るマレーシアはまた異なる。トゥンパット郡という地域はもちろんイスラーム教徒も多いのですが、彼らはあまり積極的にマレー人らとつき合うことはしていないようで、シャム人コミュニティーの中で暮らしている。一部はマレー語を話せないシャム人もおり、こういった人たちでさえも、別段コミュニケーションで問題にはならず、シャム人社会の中で完結する生活を送っているのです。

トゥンパット郡にある有名な涅槃像


 また、この人たちは華人が仏教徒であるためか、華人と仲良くしています。食文化が似ているところがあるからでしょうが、華人のホーカーではシャム人の店や店員をよくみかけます。

 僕がよく行くホーカーでもシャム人のおばちゃんがよく飲み物の注文を取りに来ます。僕に対してもなぜかタイ語で話しかけてきますが、どうしてなのか。マレー語を話しているのを聞いたことがありません。華人もタイ語を話す人が多いからかもしれません。

 一方で、イスラーム教徒のシャム人もいます。クランタン州のシャム人の間ではどうもそれほど多くいないようです。この人たちはタイ語もマレー語も話す人たちが多いのですが、イスラーム教徒であるがゆえに必然的に食べ物が仏教徒シャム人と異なり、マレー人の料理を食べることになります。また、この人たちはタイ南部にも多くの親戚がいるのも特徴で、毎日のように国境を越える人たちもおり、国としてのマレーシアやタイが生活の中に溶け込んでいる。まるで隣の村の親戚を尋ねるようにするのですが、こういった国境を日々越える生活をしていると、ほかの地域のマレーシア人とはまた異なる国境感をもっていると思います。ちなみに、クランタン州の人たちはタイ南部に行く場合は旅券をもたなくてもいけます。10リンギの1年有効の国境パスというのをもっていれば国境を越えることはできますが、タイ南部5州にしかいけません。

クランタン人向けの国境パス

 シャム人の中でも宗教が異なるとまた社会への見方が変わる。宗教に関係なくシャム人社会で一括りした中にいる人たちとその外にいる人たちとの間でももちろんマレーシア全体の見方が変わる。

 さらに、マレー半島西海岸のマレー人や華人、インド人、さらに東マレーシアの少数民族、外国人といった人たちはそれぞれのコミュニティーで生活しています。この他にもさらに宗教や言語別に人々は分かれており、それぞれに国家としてのマレーシアをみています。そういった人たちが見ているマレーシアの姿は決して一つの姿としては見えない。人それぞれのマレーシアがあって、なかなかマレーシア社会の難しいところなのだと思います。

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