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新型コロナウィルス蔓延で考えたこと ~法を守らない人々~

 法を守らない人々は万国どこにでもいる。法を取り締まるために警察官がおり、法的措置を下すために裁判官がいる。麻薬取引や殺人で起訴され刑に服す者はどこにでもいる。死刑になる人もいるが、それは裁判でどうにでも言い逃れができ、うまくいけば回避ができる。
 しかし、今回ばかりはそうはいかない。私はマレーシアの移動制限令で違反している人たちのことを言っている。
 3月18日にムヒディン首相が新型コロナウィルス感染の増加に伴い、移動制限令を出した。わずか8日後にはさらに延長するとして4月14日までとなった。政府としては極力外出を自粛してもらい、大人数の集合を避けさせ、クラスター感染を発生させないようにしたいのだ。
 この背景にはマレーシアでは2月27日から3月1日にクアラルンプール郊外のモスクで地元の人の間では有名な宗教イベントが開催されたことがある。ここには外国人を含む1万6000人が参加し、不幸にも誰かがウィルスを持ち込んでしまったために約1000人が感染する事態となった。いまだに5000人以上が検査を受けていないということなので、感染者数は増える可能性がある。実際、ここでのクラスター感染がマレーシアでの感染者数を大幅に引き上げてしまったのだ。モスクでの集団礼拝などを即座に禁じたが、それでも感染拡大は止まらないため、上記の制限令が出たのだ。

 驚くべきことでないが、18日以降、この制限令に背きづつける人たちが多い。そもそも制限令は中途半端な形の外出禁止令で、不要不急は禁じられるが、食品や日用品を買ったり、政府が認めた重要セクターで働く人は外に行ける(昨日にやっと自宅から10キロ以上には行くなと発令された)。つまり、外に行こうと思えば行けるのだ。制限令の延長を宣言した首相は26日までに国民の95%が順守していると語ったが、逆にいうと5%が従っておらず、その数は160万人にのぼる。これだけの「法律破り」がいるとウィルスが拡散する可能性があり、それを政府は恐れ、日々取り締まりを続ける。
 そう、「今回ばかりはそうはいかない」としたのは、「法律を破る」ことで直接ウィルスが体内に流れ込み、早い人で1週間ほどで死に至るためだ(不幸にも志村けんさんの例)。外出してウィルスにかかると一週間以内に「死刑」になるという恐ろしい病気なのである。
 法律を守らない人はこの現実をわかっていないのだろう。マレーシア政府は「死刑」を回避するために取り締まっているという妙なことにもなっている。ちなみに、政府の厳しい取り締まりで日本人4人もジョギングをしていて逮捕されている。
 
 このスリリングな法律違反の心理について考えていると、たまたま日本医科大学特任教授の海原順子さんの記事が出ていた。https://news.yahoo.co.jp/byline/umiharajunko/20200328-00170107/ 
 これは日本で外出自粛要請が出たのになぜ人は外出するのかという海原教授の心理的な分析。要約すると、その背景には「若者の将来に対する不安」、「シニアの愛社精神のこだわり」、「政治家の説得力の欠如」を挙げている。おそらく日本の場合はこれは相当にあたっているのだと思う。
 しかし、マレーシアの場合はこれはいずれも当たらない。そもそもマレーシアは多民族社会であるがゆえに各民族間が共有するものがほとんどないのが実情。政府は法律を作って施行するものの、政府の主体はマレー人であるために華人やインド人の多くはどこか「関係ない」という意識がある。特に数年前までは明らかにそうであった。
 日本と比較して面白いのは、例えば、駐車違反やスピード違反して罰金が科されたとしても結構な人たちがすぐに罰金額を払わずにしていること。年末などになると警察側が罰金額のディスカウントをしてくるので、それを知ってか知らずか、未納し続けるのだ。つまり、政府側が違反した国民に対して「頼むから罰金を払ってくれ」というよくわからん構図になっているのである。税金の未納者に対しても同じことがいえる。
 なぜこうなるかというと、ここにはマレー人と華人の構図があるからだろう。華人はマレー人よりもお金をもっており、罰金や税金の未納者(これらの民族比率については発表されていないが)は、多くが華人がいるのだろうと予想する。となるとお金をもっている華人に対してマレー人の政府(もちろん閣僚には華人もインド人もいるが)が「お願いをして」罰金を懇願するのだ。

 この民族比率の事情ともう一つ指摘しておかなければならないのは、マレーシア人が法律に順守しないのはおそらくマレーシアには軍事政権がこれまでに成立しなかったことも関係するのではないか。軍による「国民へのしつけ」が植え付けられていないため。
 例えば、インドネシアでは30年以上にわたって軍事独裁政権であった。このため、今でもそうだが、社会のなかで軍人の地位が高く、怖い存在なのである。ジャカルタの駐車違反禁止地区に車を停めると警察や軍人がすぐに現れる。彼らはどなりつけてくるので、移動せざるを得ないし、反抗すればどこにつれていかれるかわからない。現在も軍事政権であるタイでもそうであろう。
 法律違反を回避させるようとする軍人による抑止力は相当強いもので、長期間でいえば「法律を守る」ようしつけられていったのであろう。もちろんそれでも守らないやつはいるが。いずれにしても「国民をしつける役割」が軍隊にはあった。
 一方で、マレーシアはそれがまったくない。軍人はマレー人が主体であるがゆえ、軍が全面的に政治に出てくるととたんに民族が絡んだ社会不安が出てくるのだ。このため、1957年の独立以来、この国では軍が全面に出てくることがほとんどなかった(1969年の人種暴動のときは軍が全面に出てこようとする動きもあったようだが)。現在、法律を守らない人を取り締まるため軍も各地で展開しているが、あまりインパクトがないのもこのためで、国民の模範となっているわけでもないのである。

 こういった社会的背景があるため、いつまでたっても守らない人があちこちに動き回っている。もちろん華人ばかりが違反しているわけではない。マレー人も平気な顔をして動いているが、軍が展開してきたことでマレー人の間にはインパクトはあるようである。
 政府という存在は私は好きではないが、今回ばかりは政府の言うことは聞いておいたほうがいい。なにせ敵は見えず、全世界に散らばって多くの人を死に追いやっている。どの政府もコントロールできていないのが実情で、全世界で外出禁止令が出てしまい、全世界が引きこもってしまっている。この敵を撃退するには外出せず、ウィルスをもらってこないことに限るのだが、果たしてそれでも「法律は関係ない」と言って済ませられるのだろうか。そうとすると相当のスリルを楽しむか、人生をなめているのか、社会をまったく考えていないとしてか思えない。

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