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禍話「念仏」


 Aさんが四歳の頃というから、戦後すぐの話である。大きな農家であったという彼女の家では、犬と小鳥を飼っていた。

 どちらも父方のおじいさんが連れ帰ったり買ってきたりしたもので、おじいさんが亡くなってからは、動物嫌いの父親から庇うようにしてAさんが世話をしていた。

 その犬や小鳥の顔が、時に応じて変わったのだという。

 人間のような表情を持っていて、しかもAさん曰く、極々簡単なものであるが"喋った"。それは声として聞こえるのではなく、「はらがすいた」とか「ありがとう」などという文字が、頭の中に浮かぶ形であったという。とても幼かった当時のAさんは、それを不思議なこととは思っておらず、そういうものなのだと考えていた。

 そんなある日、Aさんがふと犬のほうを見ると、犬の顔がAさん曰く、“すごいことになっていた”。目をかっと見開いて、口の両端がぐにゃりと吊り上がって、無理矢理そうしたように、耳まで裂けている。これは笑っているのかな、と思った。そして、それと同時に頭の中に、


「なむあみだぶつ」


という文字が浮かんだ。それがおばあさんから教わった、仏様を思う言葉であるということはすぐに思い出せた。もしかして、と思い、鳥籠の中の小鳥を見ても同じだった。裂けるようなものすごい笑みを浮かべて、


「なむあみだぶつ」

…。

……。


 うわあああああ!と火の付いたように泣き出すAさんの声を聞いて、母親が駆け寄ってきた。



 一頭と一羽は数日後、Aさんが寝ている間にこっそりと処分された。それはAさんが泣き叫んだからではなく、元から父親の意向でそうする予定だったのだそうだ。

 さて、Aさんは彼らが処分されたことを知った日の、夢か現か分からない光景を今でも強烈に覚えているという。


 家の仏間である。
 半開きになった襖越しにAさんは中を覗いている。

 薄暗い仏間のちょうど真ん中のあたりに、殺された犬と小鳥の顔――念仏を唱えたときのあの顔――だけがぽつんぽつん、と並んで宙に浮かんでいる。そこへ、ずずずずずっ、と逆の襖を開いて、何か坊さんのようなものが入ってきた。坊さんの“ようなもの”と言ったのは、それが坊さんの恰好をしてはいたが、首から上が明らかに人間ではなかったからだ。毛だらけで犬か猿かよく分からない顔に、目・鼻・口が福笑いのように付いている。それが部屋に浮かんでいる二つの顔に会釈すると、仏壇に向かって――これはちゃんとした――お経を上げ始めた。浮かんだ二つの顔の、あの顔を裂くような笑みが、お経が進むにつれてどんどん、どんどん、深くなっていく。


 この夢を見た直後に、Aさんの家は全焼した。


 助かったのはAさんだけだった。父親と母親はなぜか仏間で仏壇に顔を突っ込むような形で死んでいるのが見つかったが、出火元などはよく分からなかった。

 あまりに幼かったせいか、父や母や家族の顔はもうほとんど思い出せなくなっているというAさん。だが、この思い出は異様に鮮烈なまま、今でも犬と小鳥の顔だけは真似ができるんですよ、とぼくの前でぐにゃりと無理やりに、口の端を吊り上げて見せてくれた。


おわり



※このお話は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」から、一部を編集して文章化したものです。

※出典 シン・禍話 第十七夜(初見さんに優しい仕様) 2021年7月3日放送

余寒(よさむ)さんの怪談手帖「念仏」

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※YouTubeにも切り抜き動画がUPされています。