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禍話「煙々羅」

しづが家のいぶせき蚊遣の煙むすぼゝれて、あやしきかたちをなせり。まことに羅の風にやぶれやすきがごとくなるすがたなれば、烟々羅とは名づけたらん。――『今昔百鬼拾遺』


 怖かった話ですか、そうですね、子供の頃に聞いて、思い出すと今でも気味の悪くなるような話ならありますよ。

 Aさんはそう言って、今は亡きひいおばあさんから聞いたという話をしてくれた。



 Aさんが小学校の頃、たまたま他の家族が出払っていたとかで、当時まだ矍鑠としていたひいおばあさんと二人きりでテレビを見る機会があった。丁度、ゲゲゲの鬼太郎をやっていて、その回は「えんらえんら」が出てくる話だった。

 「えんらえんら」とは、かの鳥山石燕が絵に描いた煙のお化けであって、立ち上る煙の中に人の顔がある、というデザインをしている。ゲゲゲの鬼太郎では第三シリーズのアニメ版で登場し、山奥の炭焼き小屋に住んでいた煙の妖怪が都会へ出てきてガスを吸い、巨大化・狂暴化して暴れまわるという当時の環境問題とも絡めたシナリオであった。

 普段、あまりアニメなど見ないひいおばあさんが、その時はじっと食い入るようにテレビの画面を見ているので、Aさんは不思議に思って、番組が終わった後で
「これ、気に入ったの?」
と聞いてみたそうだ。
「それとも、環境汚染とか環境問題とかが気になるの?」
とも。

しかし、いずれも違っていた。
「今の漫画のあのお化け、煙に顔があったけど…」
ひいおばあさんは険しい顔のまま言った。
「昔ね、私、あれに近いものを見たんだよ」

そして、この話をしてくれたという。



 ひいおばあさんの少女時代のことである。ある年の冬、他所へ嫁いでいた大姉さんが実家に帰ってきた。大姉さんというのは、年の一回り離れた一番上のお姉さんで、鉄道に勤めていた男性と結婚して、ひいおばあさんが物心がつく前に家を出た人だった。

 ところがその年、夫を不慮の事故によって亡くし、傷心のまま帰ってきたのである。ひいおばあさんからすると、姉妹でありながらあまり馴染みのない相手ではあったが、余所行きの雰囲気を纏ったお姉さんというものは新鮮な存在で、あれこれと話しながら繕い物などをよく二人でやるようになった。

 ただ、大姉さんは夫を亡くして以来、どうも心を少し病んでしまっていたらしく、普段の生活でも突然ぼうっと壁を見つめたり、話しかけてもぽかんとして全く反応しなくなってしまうことがあった。ふとしたときには、何かを呟きながらさめざめと泣く。それだけならまだしも、ある時から、心の痛みを癒そうとしたのか、妙な集まりに出るようになった。

 それは、村外れの公民館で行われていたという。公民館といっても、それはひいおばあさんが回想しながらそう例えただけで、当時は思い思いに呼ばれており、単に住民の共有の建物、くらいのものだったらしい。

 大姉さんが通っていた集まりというのは、週に二、三度、誰もその建物を使わない時を見計らって開かれていた。

 言い出しっぺは近所に住む老婆で、この人は若い頃によく狐に憑かれたと主張しているらしく、怪しいことや不思議なことばかり言うようになり、近所の人からは「ほげたのばあさん」(穴が空いた、の意味らしい)と呼ばれていた。その他に、ひいおばあさんの叔母にあたる中年の女性と、同い年くらいのヨシさんという近所の女性、合計で四人。そしてひいおばあさんは大姉さんに付き合うような形で、心配なのもあって付いていっていた。

 四人の共通点は、子供であったり配偶者であったり、近年家族を亡くしていることであった。そして、それらの亡くなった家族と話をするためのまじないを公民館で行っていたのだ。

 降霊術の一種のようなものであろうが、そのやり方は少し独特だったらしい。なんでも、四人で火鉢を囲んでその中で幣束と何かのお香を燃やし、煙を熾してじっと見つめる。うまくいけば煙の中に話したい相手が現れてくるというようなことで、ほげたのばあさんがどこからか伝え聞いてきたまじないのようだった。

 細部が曖昧なのは、当時のひいおばあさんはあくまで大姉さんの付き添いでついていっただけで、ほげたのばあさんのこともあまり好きではなかったから、真面目に聞いていなかったのだという。

 四人はいつも、集まるとそそくさと火鉢を囲んで火をつけ、あれでは目が痛くなるだろうというくらい近付いて、立ち上る煙を熱心に見ていた。まじないをあまり信じていなかったひいおばあさんは、呆れたように後ろで暇を潰していた。

 だがあるとき、何気なく彼女たちが囲む火鉢から上る煙をぼうっと眺めていると、煙の中に何か見え隠れしている。なんだろうと思って目を凝らすと、明らかに人の目や、鼻や口と思しきものが細い煙の筋の中にちらちらと見えていた。ぞっとして、思わず目を背けた。火鉢を囲んだ四人は口々に、
「見えてきた、見えてきた」
「もう少し、もう少し」
などと言い合っている。あまつさえ、その何かに向かってあれこれと話しかけたりもしているようだ。まさか本当にまじないの効果があったのかと混乱しつつ、あまりに不気味なのでなるべくそちらを見ないようにして、結局その日は一足先に帰ってしまった。目の錯覚だと思い込みたかったのだが、あとで帰ってきた大姉さんは
「やっと見えてきたやっと出てきた」
などと繰り返しながら、ひどく嬉しそうにしていた。

 そして、その次の日、再び公民館へと大姉さんに付き添って出かけたひいおばあさんは、四人が顔を突き合わせるなり、いつも以上に熱心に何事かを話し合っているのをぼんやりと眺めていた。大姉さんのことは心配だけれど、やっぱりもう、帰ってしまおうかな…。そんなことを考えている前で、いつものように火鉢に火が熾されたらしく、煙が立ち始める。その日の煙の出方はいつもより多く、それとなく目を背けて部屋の端にいたものの、ひいおばあさんは段々気分が悪くなってきた。いやだなぁ、あの目とか口とか鼻とかがまた見えちゃったら…本当にいやだなぁ…。

いきなり声が上がった。

「見えた!」

大姉さんの声だった。びっくりするくらい、綺麗で大きな声だった。

「見えた、見えた」

大姉さんは繰り返す。続いて、他の三人もそれぞれ膝を浮かせて叫び始めた。

「見えた見えた」「顔まで出てる」「来てくれた」「はっきり見える」「顔が顔が顔が」「ほら笑った」

煙の幾筋も上る火鉢の中に顔を突っ込むようにしながら、そこにあるらしい何かへと興奮して話しかけている。本当に見えているのだろうか、死んだ人たちの顔が。そんなものが見えるなんて。絶対に見てはいけない。霞んでくる頭でそんなことを考えながら、数分か数十分か分からないが、朦朧としていたらしい。

「おい、何してるんだ!」

という怒鳴り声を聞いて、ひいおばあさんははっと気が付いた。顔見知りの近所のおじさんが、表から入ってくるところだった。

「何焚いてるんだ、煙が外まで…!」

おじさんは、うっ、と唸ってそこで立ち止まってしまった。おじさんの視線の先を見やったひいおばあさんは息が止まった。火鉢が不自然なほどの煙を吐いていた。

 四人の姿はどこにもない。ただ、もうもうと立ち上るその煙の真ん中に、葡萄の実のようにくっつきあった巨大な人の顔が四つ、ゆらゆらと蠢いていた。写真の如くはっきりとモノクロームの顔が見える。ただ、目と口が、眼球も歯も舌もない真っ黒な穴のようになっていて、煙の動きに伴い大きくなったり小さくなったり収縮している。ひいおばあさんはなぜか理解した。

 笑っているんだ。あれはみんな、笑っているんだ…!

 そのまま意識を失いそうになったひいおばあさんの肩を、おじさんが強引に掴んだ。おじさんは
「何だ、何だありゃあ!」
と叫びながら、そのまま抱きかかえるようにしてひいおばあさんを外へ連れ出した。意識を手放す瞬間まで、ひいおばあさんはぼんやりと今見たものを頭の中で反芻し続けていた。

 煙の中にいた顔は、亡くなった家族ではなかった。火鉢を覗いていた、おばさんとヨシさんとほげたのばあさんと大姉さんの顔だった。


 姿を消した四人はその後、村の近くの低い崖の下で固まって死んでいるのが見つかった。互いの手をしっかりと握りあっていたことから、誤って落ちたのではなく覚悟の上の自殺だろうということになったのだが、発見した住民によると四人が四人とも、目と口を普通の倍くらいまで無理矢理広げられたような異様な顔で、とても二目と見られるものではなかったという。




「だからねぇ、思わず思い出しちゃったんだよ」

ひいおばあさんは、鬼太郎の終わったテレビ画面を眺めやりながら、顔をくしゃくしゃにしてそう言っていたという。

「煙の中で笑ってた、あの顔をね」


おわり


※このお話は、怪談ツイキャス「禍話(まがばなし)」から、一部を編集して文章化したものです。

※出典 禍話Xスペシャル 2021年2月24日放送

余寒(よさむ)さんの怪談手帖「煙々羅(えんえんら、えんらえんら)」


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