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Ⅱ. セカンドオピニオン [猫と義兄ー猫編]

 以前住んでいた土地は、小さなエリアに大小の公園といくつかの学校が集まっており、住宅も庭や軒下をもつ戸建がほとんどだった。そのため地元の保護猫の活動団体を中心に、TNR(猫の捕獲、不妊・去勢手術、元の場所に戻すこと)された地域猫が多く暮らしていた。

 私の住んでいた低層階のマンションも、何人かの住人が餌をあげている一匹の猫がいた。食事時になると、どこからともなく現れ、駐輪場で餌を貰うのを待っている。ただ、住人たちの餌やりは気まぐれで、彼らが休暇で不在の時は、ずっと廊下で食事を待ち続けている猫の姿があった。

 ある時は、ディルとピンクペッパーが散らされた、人間用のサーモンマリネが餌皿に入れられており、慌てて夫が回収したこともあった。
 猫のことを知らない人が善意でしたことなのだろう。猫は食べない、食べると危険なものが多くある。そして、気まぐれに餌やりをすることは、地域の猫同士の力関係を崩したり、意図しない動物を呼び寄せてしまう場合もある。
 
 ある年の秋の終わり、住人に翻弄されている猫を見かねた夫が、我が家のベランダに小さな寝床と水、餌用の皿を用意した。
 気が弱く、他の猫から身を隠すように過ごしていた、この猫の状況を心配していた夫は、かねてより近所に住む地域の保護猫団体のメンバーである知人に相談をしていたこともあり、ゆくゆくは捕獲して里親を探すことを視野に入れての行動だった。
 その知人は地域猫のために熱心な活動を行なっており、毎日朝晩、決められた場所にTNRされた猫たちのための餌を置いてまわったり、自宅に猫専用の部屋を数室持ち、保護した猫の里親が見つかるまで預かったりしていた。
 
 猫は、以前から我が家の猫たちと網戸越しの交流があったため、すぐにベランダを拠点にした。保温性の高い発泡スチロールの箱で設えた寝床で、すやすやと眠る姿を観察すると、深い焦茶と黒のトラ柄の被毛は、腹部や頭部で毛足がやや長くなっており、拳を正面から見たような顎の潰れた顔と短めの四肢は、洋猫の長毛種が混ざっているようにも思われた。

 猫は、食事と寝床のお礼か、夏には蝉、春は小鳥の雛、冬は鼠をプレゼントとしてベランダに置いていった。初めて見た時は卒倒しかけたが、それは猫が野性の動物であることを忘れていた、こちらの問題である。

 猫をベランダに迎えてから間もなくして、餌やりをしていた住人が立て続けに引っ越していった。餌付けをした猫は、マンションの賃貸契約のように簡単に責任を放棄することはできない。

 それから数年が経ち、私たちはこの地を離れることになった。
長い間、外で暮らしていた猫を完全な室内飼いにするには、プロの力が欠かせない。受け入れ先が見つからない場合は、自分たちで引き取ることを前提に、知人に里親探しに向けた準備を手伝ってもらった。

 ──猫白血病 陽性。
捕獲してすぐに行った検査で、予想外の事態が発覚した。それは、外で暮らしている猫が罹患する確率の高い病気で、私たちが最も恐れているものだった。猫エイズと呼ばれている、猫後天性免疫不全症候群よりも感染力が高く、予防するワクチンも治療法も現在はない。唾液感染をするため、同じ空間での多頭飼いは難しく、完全に分離させる必要がある。

 思いがけない病気の発現は、猫を取り巻く人間模様を急速に変容させていった。それまでは協力的だった知人が、この猫を疎ましく思っていることを会話の端々から察することができた。猫もそれを感じているのか、その知人だけに激しく威嚇をするようになった。
 数年来、網戸越しに接触をしていた、我が家の猫の猫白血病の検査結果が陰性だったことを伝えた時の、知人の落胆した様子はいまも暗い記憶として残っている。

 長い闘病が前提になる猫の里親探しは進展するはずもなく、知人から突然、猫を預かっている部屋は年明けから別の用途で使うことになったので、猫を連れて出て行って欲しいと知らされたときは、既に三の酉が終わっていた。

 実家の両親に頼みこみ、なんとか預かってもらう手筈を整えた。猫好きの祖父のもと、幼少期より多くの猫たちと過ごしてきた父に、予め死を前提とした猫と暮らしてもらうことがどういう事かも分かっていたが、それがこの猫を守る唯一の方法だった。
 
 最後の望みを賭けて、タンゲの保護以来、長く通っている動物病院に猫を診てもらうことを思いついた。猫白血病の陽性判定が出ていること、それ以外は健康状態は良好である旨を伝え、再検査でも陽性であれば、単独で飼うこと、その際に注意するべき点を教えてほしい旨を相談すると、医師は快く引き受けてくれた。
 その際に、インターネットを中心に、猫白血病の予防ができるといわれている、猫5種ワクチンの効果は60%にも満たないこと、罹患後のインターフェロンによる治療も現段階ではほとんど治癒の症例がない事など、それらの情報に一縷の望みをかけていた私の思いを打ち砕く説明がされた。

 痩身で寝癖と髭の剃り残しがトレードマークのような、その獣医師は、無愛想ながら、豊富な知見に基づく的確な治療とアドバイスをしてくれる。それは、時に飼い主にとっては受け入れたくない事実を伝えることもあるだろう。その姿勢からか、インターネットの口コミで酷評されているのをたまに目にするが、待合室に並ぶ、保護猫の里親募集のプロフィールは、どれも過酷な環境を生きながらえてきたことが分かる写真や来歴ばかりで、この獣医師が何をしているのかは、一目瞭然である。

 ──陰性ですよ。
 獣医師がややうわずった声で陰性を示す猫の検査キットを差し出した。
 捕獲してから連日、部屋を暖め、体をさすり、免疫力を強化するとされている餌を与え続けたが、そのような事で簡単に治癒するような病気ではないという。不衛生な状態で保管されている検査キットでは、稀に疑陽性が出ることがあるそうだ。
 遠くはない未来に訪れるであろう、猫の死と向き合い続けた数ヶ月は、思いがけないかたちで幕を閉じた。

 例年を大きく下回る低温を記録した、その年の終わるころ、夫と猫を抱いて自宅まで帰った道のりは忘れられない。
 猫は、夫にとって原体験である祖父母宅にいた茶トラの名をもらい、トラとつけた。我が家に迎えたその日からずっと、トラは威嚇することも暴れることもなく、今日も布団のうえで静かに眠っている。

私の気持ちの中では、猫は人間と対等の位置にある。日本語の便宜上「猫を一匹飼っている」と、書きはしても、私は、うちの猫のことを、一度も「一匹」と思ったこともなければ、また「飼っている」と感じたこともない。

伊丹十三 『再び女たちよ!』
 

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