見出し画像

6. ぜいたくてちょう

 ──お兄さんは普通じゃないと思います。

 警察署での聴取の終わりに差し出された一冊の手帳とともに、刑事からそのような言葉をかけられた。勾留されているアニとまだ1度しか面会をしていなかった当時、刑事の言葉に私は動揺した。警察の示す、普通じゃない状態とはどのようなものか。

 警察署を後にし、まだ冬の寒さが残る夕暮れの街を、刑事にかけられた言葉を反芻しながら駅に向かうと、家路を急ぐ人たちが行き交う時刻になっていた。
 市役所で用事を済ませ往来へ出ると、外で待つ夫が硬い表情でアニの手帳を読んでいた。近づくと一言、これは見ない方がいい。

 アニを知るための数少ない手掛かりとなるかもしれない手帳。表紙にはサインペンで「ぜいたくてちょう」と書かれていた。
 何が書いてあっても覚悟をしている旨を伝え、夫から手帳を預かると、自宅の最寄り駅までの約30分、私は電車の中でしばしば声を上げて笑った。

 それは、アニが風俗店を訪れた際の状況や感想を中心に、「社長になる!」といった類の根拠のない夢などが、びっしりと書き込まれた極私的な日記だった。それは、男子中学生の脳内を可視化したような、卑猥さとは無縁の呆れるほどばからしく、手帳のタイトル通り、アニが贅沢だと感じた出来事で埋め尽くされていた。
 これほど世の中への不平不満、悪口の類が認められない日記も珍しい。

 あるページでは、老舗中華料理店のランチの美味しさに感動し「最後の晩餐はここに決まりですね!!」と挿絵入りで書き残している。また、あるページでは海外の高級リゾート地の名前とともに「ヒューイーゴー!!」の走り書き。極めつけには、世界三大聖地に贔屓の風俗店の名前が連ねられており、その無垢でばからしい発想に大笑いした。
 そういった内容に交じり、自身を奮い立たせるような偉人の言葉、過重労働などに関する行政の相談窓口の記載が認められ、幸せな世界にときおり落ちる影をみた。

 警察の家宅捜査で、アニの部屋からは数年分に及ぶ「ぜいたくてちょう」が発見されたが、どの手帳も風俗店のサービスから急行電車の速度に至るまで、贅沢だと思う事象を、ときに自身で考えたキャッチコピーや番付表などを駆使し記述してあった。県内屈指の進学校を志望していた秀才だった過去を持つアニらしく、難しい漢字もすらすらと書かれていた。

 他方、いわゆる非文学的日記は、天候とか、以後全く世に知られなくなった知人とかに関する、不必要としか思われぬ事柄を、こと細かく述べ立てて、大抵の場合退屈である。しかし、そうした日記の、まさにその非芸術性こそが(中略)よそでは到底望みようのない「人間味」を、それは味わわせてくれるのである。

ドナルド・キーン 『百代の過客』

 この手帳は、文具店や書店で手に入る、月間カレンダーと週間カレンダーのあるB6サイズの一般的なものだ。
 特徴的なのは、月日を記録する機能を持つ手帳をメディアにしつつも、アニの記載は日付に紐づくことはなく、たまたま開いたページに思いつくままに書き込んでいる様子だった。カレンダーの罫線は利用せず、日付の上にも重なる様に文字が書かれており、本来の用途と使用方法の乖離が感じられた。
 記述にも特徴があり、同じフレーズや内容が1ページに複数回、もしくは数ページを挟んで再び、という具合に最低でも3回以上の重複があるものが多い。アニにとってインパクトの大きかった出来事ほど、その様な記述になっているようだった。アニは会話でも同様の特徴がある。

 アニに障害があることを知らない人は、文字と絵、ときに歌やゲームの効果音までが支離滅裂と書かれたこのノートを見て、理解し難い恐怖に似た違和感を抱くかもしれない。だが、冷静に読めば、アニの抱えている障害の端緒を掴むことは容易である。

 保釈されたアニに「ぜいたくてちょう」について訊ねると、物流関係の会社で過酷な肉体労働のアルバイトをしていた頃、手取り14万に満たない給料の半分を生活費として実家に納め、手元に残った分で月に一回だけ風俗店に通っていたという。それも、自由になる額が少ないため、別料金となるサービス等は一切つけず、割引の利用も駆使するという節約ぶりであった。
 ある年を境に、店通いは飽きて止めており、過去の記憶を繰り返し思い出しては手帳に書いていたという。

 運悪く、アニはそういった店に入れ揚げていた時に作った、SNSのアカウントを本名で登録しており、逮捕の報道とともに、そのアカウントは瞬く間に特定され、父親の年金で風俗通いをしていた、などという根も葉も無い記事がネットに出回った。もう何年も前に、SNSの更新が途絶えているにも関わらず、である。
 そんな単純な理由で、今回のような事件を起こせるだろうか。

 夫の話では、アニは病後、それまでの内省的な性格が明るく変化したと感じたという。高次脳機能障害の症状を調べてみると、脳の損傷箇所にもよるが、それまでの性格が逆転し、明るく快活になるなどの人格変化が起こる事があるという。

 私は、高次脳機能障害の後遺症だとしても、現在の状態がアニそのものの姿だと考えている。14歳で病に倒れたアニにとって、病後の人生の方が圧倒的に長い。刑事が言った「普通じゃない」は、そもそもアニには適用できないのではないか。
 目の前にいるアニを、自立した個人としてとらえ、その状態でどう社会とつなぐか、どう共に生きていくか、を考えていきたい。

 保釈後のアニには、継続して日記を書くことを勧めた。たまに読ませてもらうのだが、アニの目を通して見る世界は、留置所での人間模様にはじまり、私の料理に関するコメントなど、思いがけない側面に光を当てており、用いる言葉も独特で思わず笑ってしまう。

 不謹慎なことかもしれないが、私はアニの類稀なエクリチュールのセンスに嫉妬している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?