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座右の銘ならぬ、座右の詩 JAMログ #5

この note はNo Borders さん主催の「自分の中にARTを持て!」というワークショップに参加後の覚書です。

2022年3月から始まって、全6回のうちもう5回が終了してしまいました。今回のワークショップの中ですごく素敵な、今の自分にしっくりくる詩に出会ったのでその話を書き留めます。


高校の授業以来の詩

詩といえば教科書。中学か高校かの現代文か古典か(曖昧すぎるw)で有名な詩を暗唱する時間があったことが最後の記憶。2022年になってそれ以来久しぶりに詩というものに触れました。

実はJAMで取り扱う前に伏線があって、そちゃんとのセッションの中で「座右の銘がなんかほしいんだけどいい言葉が見つからない」という話をしたら「さきさんは詩を探してみたらいい気がする」って言ってもらって。そこから詩人さんや詩集を探したりしていたのでした。

調べながら実感したのは、「暗唱しろ〜覚えるんだ〜〜〜」となんども読まされた詩は本当に名作揃いだったんだということ…。覚えている範囲ではこんなラインナップ。多分50以上あったけど10こも覚えてない…。

平家物語(冒頭)
春暁(孟浩然)
絶句(杜甫)
君死にたまふことなかれ(与謝野晶子)
汚れつちまった悲しみに(中原中也)
道程(高村光太郎)
竹(萩原朔太郎)
初恋(島崎藤村)

名詩中の名詩


そして今回出会った詩

いまはむかし あるところに
あべこべの くにがあったんだ
はれたひは どしゃぶりで
あめのひは からりとはれていた

そらには きのねっこ
つちのなかに ほし
とおくは とってもちかくって
ちかくが とってもとおかった

うつくしいものが みにくい
みにくいものが うつくしい
わらうときには おこるんだ
おこるときには わらうんだ

みるときは めをつぶる
めをあけても なにもみえない
あたまは じめんにくっつけて
あしで かんがえなくちゃいけない

きのない もりでは
はねをなくした てんしを
てんしをなくした はねが
さがしていた

はなが さけんでいた
ひとは だまっていた
ことばに いみがなかった
いみには ことばがなかった

つよいのは もろい
もろいのが つよい
ただしいは まちがっていて
まちがいが ただしかった

うそが ほんとのことで
ほんとのことが うそだった
あべこべの くにがあったんだ
いまはむかし あるところに

ねむりのもりのはなし/長田弘
引用元:日本の詩集 長田弘詩集

この詩がぐっときました。

「あべこべのくに」では、よいと言われていることがよくないかもしれない、よくないと言われていることが良いのかもしれない。

ことばにしても意味がないときはたくさんあったし、すごく意味のあることがうまく言葉にならないこともあった。

ここも、どこかから見たら「あべこべのくに」なのかも知れない。

そんなことを考えながら、自分の「あたりまえ」や「とらわれ」みたいなものをゆるく手放せる感じがしてすごく快い気分になりました。


表現する力がもっとあったらいいのに

そして、詩を読みながら自分なりの表現をしてみる時間の中で「頭の中に浮かんでいることがあるのに、形にする力が全然ない」という気持ちが湧いてきました。

音楽でも美術でも言葉でもなんでもいいから、自分に浮かんできたものをもっと精緻に表現する力がほしいなぁ、それに没頭したいなぁ、みたいな気持ち。小さい頃からずっとあったのかもしれないなぁ。

最後に、今回の詩が掲載されていた本をあらためて。他にもたくさん素敵な言葉がありました。ふろふきの食べ方っていう詩もすごく好きだったな。


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