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情報や知識よりも、自分の感覚を信じて生きる時代

 疫病のシナリオは5月8日で5類になって終わり、ということで、次のメインシナリオは何なのかをしばらく考えていたのだが、広告屋を騒がせている話題から推察するに昆虫食推しらしい。もちろん災害・戦争紛争・食糧危機・金融危機・また別の疫病など、複数のシナリオを同時並行的に展開していくのが支配者層のやり口なのだが、それでもメインテーマとなるものがそのときどきによって存在する。ここ3年間は疫病であったし、1900年代前半の世界大戦中は戦争やナショナリズムがそうだった。冷戦中はイデオロギー対立、ソ連崩壊後はマネタリズムがメインテーマだったと思ってそれほど間違いはないだろう。

 そういう意味でのメインテーマが、日本ではしばらくは昆虫食だろうということだ。回転寿司チェーンをはじめとする外食店でのいたずら動画が拡散されているのは、疫病で下準備の整った「外食は危険」「他人は危険」という観念を民衆により深く植え付け、「しっかり生産管理された、衛生的な昆虫を食べないとダメですよ」という話に持っていくつもりだからだろう。「衛生的な昆虫」という、四角い三角みたいな自己撞着に気づかないと餌食になる。疫病の話と同じだ。手口は太古の昔からほとんど変わっていない。

 それで昆虫を食うのを避けたい人々は、原材料表示に関する法規制の動向やどう表記されているものがコオロギ由来なのかという情報を収集して対応しているようだが、そんな面倒なことしなくとも自分で食ってマズいとか違和感があると思うものは食わなきゃいいだけの話である。原材料表示や「もしかしたら虫を食わされているのかもしれない」という疑心暗鬼と不安によって自滅するという方向もあり、半端なインテリはそういうノイローゼにやられる。

 ホリエモンが回転寿司のバカ動画に関して、「ネットやSNSがあるから可視化されているだけで、昔からもしかすると俺たちは他人がペロペロした寿司を食っていたのかもしれない」ということを言っていた。私はホリエモン信者じゃないが、この見解は至極まっとうだと思う。知らぬが仏とはよく言ったものだ。

 ときおりニュースで、食品の産地偽装などが問題となる。ナントカ産というブランド品として売り出していたのに、実は違いましたといってバカが騒ぐ。こんなのは、その食品に付与されたラベルや情報に過ぎない産地名ではなく実際にそれを食って判別できない、舌がバカな奴のほうが悪い。別にどこ産だろうが、食べてウマいかどうかがすべてだろう。メシそのものでなく、そこに込められた情報や物語を消費する構えで生きているから舌がバカになる。ジャン・ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』で言っているとおりだ。モノそれ自体ではなく、それにまつわるストーリーや情報や他人の欲望を消費するように現代社会は作られている。モノそれ自体を味わうためには訓練と経験が必要だが、消費にはなんの訓練も必要ない。「コレがおいしいんですよ」と広告屋が教えるものがおいしいのだと思うだけの話。身体的な感覚、リアルな経験から観念が生み出されるのではなく、観念が与えられるだけで完結する、実体から乖離したシミュレーションの世界。その行き着く先がメタバースだろう。

 そういうのがこれまでの社会のあり方だったわけだが、それもまたイージーマネーの時代、不換紙幣の時代の終焉に伴って終わっていく。くだらない御託でなく、実際にハラが膨れるのか、暖は取れるのか、実務の役に立つのか、そういう人間がリアルに生活する上で欠かせないようなもの以外は資金が途絶えて淘汰されていく。だがなんということはない、広告屋と金融屋のいなかった古代・中世の世の中に戻るだけだ。これが退歩と感じるのも近代の進歩主義的洗脳のなせる業であって、進歩も退歩もありゃしないのだ。

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