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「非接触決済」に抗う

 昨日は散歩への備えとして、吹雪の中でも散歩できるようにスキーゴーグルを買いに行った。雪靴と、風雪に対する防御さえしっかりしていれば、吹雪いていても問題なく歩ける。そういうわけでスポーツ用品店に買いに行ったのだが、セイコーマートと生協以外の店に行くのが久しぶりで、会計のときに「レジ袋はいるか」と久しぶりに言われて面食らってしまった。セコマは常に何も言わずに袋に入れてくれるし、生協は組合員になるともらえるエコバッグを持って行くとそれには袋詰めをしてくれる。それに慣れてしまっていたので、たまにそうではない別の店に買い物に行くとこういうハメになる。

 最近はクレジットカード決済も、自分で端末に挿入しろだの裏面の署名を見せろだのうるさいので、全部現金払いにすることにしている。裏面の署名を見せろというところはまだ限られているが、バカは伝染するので、これもそのうち広まってくることだろう。

 この二つの作業を両方やらせる店は完全に間違っている。なぜなら、そもそもクレジットカードを自分で端末に挿入して操作させることの目的は、資金決済法の関連資料によれば店員がカード情報を盗み見して悪用することを防ぐ、というところにある。しかるに署名の確認のためにカードの記載面を提示するということは、盗み見を防ぐという第一の作業の目的に反する。クレジットカードの多くはカード番号、有効期限など立体的に加工されており、裏面であっても記載されている情報を読み取ろうと思えばできる。さらに最近は表面にカード情報を記載せず、裏面だけ印字するタイプのものも増えてきているのだから、署名欄を見せろということがカード情報の盗み見を防ぐという目的となおのこと矛盾することになる。

 私は次にカードの裏面を見せろなどと言ってくる輩に遭遇したら先述の理論武装に基づいて論争を挑もうと思っていたのだが、買い物に行く目的は必要な物品を入手することにあり、世界の矛盾を正すために商店に行くわけではない。だとすれば余計な手間をかけさせられる決済手段を選ばず、単に現金で払えばよいというわけで、最近はもっぱら現金払いになった。現金で払えば日本銀行券を銅貨と交換もでき一石二鳥である。さすが平和憲法の国、和を以て貴しとなす精神が私の中にも息づいているのである。現金は入り口で消毒すること、とか額面ごとに整然と並べること、といったようなことが法制化されない限りは現金払いでいいだろう。

 そんな感じで買い物一つとっても困難さと矛盾とバカバカしさに満ち満ちているのがいまの世の中なのである。しかし朝の散歩のとき、時間帯が合うと駅で通勤・通学途中の中学生・高校生、サラリーマンの集団に出くわすときがある。そうすると誰も彼もがみなイヤホンをしてスマホを見ながら歩いていて、最近は減ってきたがそれでも大多数はご丁寧にマスクをしている。今日などはまた雪も降っていたし、まあマスクは防寒具としての機能もなくはないが、それでも雪道を歩くのに耳栓して視線はスマホに釘付けというのでは、危機管理のセンスがあまりにも欠落していると言わざるを得ないし、あれじゃあ世の中の矛盾に気づけというほうが無理な話である。

 ちなみに矛盾という言葉は、古代中国の楚の人がなんでも突き通すといって矛を、どんな攻撃も防御するといって盾を売っていたところ、見物人に「その矛で盾を突いたらどうなる?」と尋ねられて答えることができなくなってしまった、という故事に基づいている。矛の論理系のなかに留まっていれば矛はあらゆるものを突き通すことができる。盾の論理系のなかに留まっていれば盾はあらゆる攻撃を防御できる。矛盾に気づくためには、それぞれに固有の論理系から飛び出して、矛と盾二つの論理系を比較する視座に立たなければならない。愚民化の基本は人間の思考をある論理系のなかに閉じ込めるということにあって、一つの論理系を飛び出して超越的な視点に立つことに「陰謀論」というレッテルを貼ることにある。バン・アレン帯は飛び出せるのに論理系を飛び出すことは許されない(笑)。

 サラリーマンはともかく、物心ついたときからスマホを与えられてそれがあるのが当たり前という環境で生活してきた若い人たちには、「スマホは愚民化の道具だ」などと言ったところで陰謀論者の戯言としか受け取られないのだろう。これと同じ話が、NISAよりも収益性やリスクを考えて別の投資先を考えろ、という主張にも当てはまり、結局のところ体制が提供するレールから外れた話はすべて陰謀論ということにされてしまう。スマホで決済できるのに、現金などなぜ使う必要があるのか?

 毎朝の習慣を維持し、それによって論理的思考を研ぎ澄まし社会の矛盾を論難すると言えば聞こえはいいが、一般的な用語でいえばただの頑固ジジイになっただけという気がする。しかし論語に曰く、三十にして立つという。私も32歳で、30歳くらいになってようやく自分の意見をもって社会に対峙するようになると孔子の時代から言われているのである。やはり古典は読まざるべからず、である。スマホを捨てて、図書館に古典全集を借りに行ってください。払った税金も回収できますよ。

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