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デジタル=効率化というウソ。SNS疲れの真因

 対面や電話でコミュニケーションを取れば一瞬で済むような話が、メールやチャットを使っているがために却ってややこしく面倒くさく複雑になるケースが非常に多い。

 メールはまだしも特にチャットツールでは、自分が投稿したタイミングで相手が見ているのか見ていないのか、見たけれども検討しているのか、見て腹を立ててパソコンを破壊したのかが分からない。逆もまたしかりで、投稿に返信しないでいても、相手が「検討しているのだろうな」と待ってくれているのか、早く決定されないのでイライラしているのかが分からない。その結果、ただの事務連絡が大仕事になってしまう。1円にもならないのに。

 このような精神的な負担に関して真剣に議論がなされていないことが不思議で仕方ない。せいぜいチャットやメールの通知によって取り組んでいる作業が中断され、その結果として生産性が落ちるというようなマルチタスクの弊害については言われるようになってきたが、それはあくまでも個人の作業効率に関する議論であって、複数人のコミュニケーションの円滑化という文脈では、まだまだチャットやデジタルツールを使いさえすればよいという議論がほとんどだ。

 私自身はほとんどチャットツールを使わない。使うにしても事務連絡か、すぐに解決しなくても別にいいような些末な仕事のためだけであって、議論や対話には用いない。上で述べたような、相手の状況が分からないストレスの方が耐えがたいからだ。

 なぜこれだけデジタルツールが発達し、四六時中ネットに接続されるようになったのに、我々は常に仕事に追われていて、心の安まる暇もないのかということの大元の原因はここにある。人間はコミュニケーションにおいて、伝達される情報の内容だけでなく、それを誰が言うのか、いつ言うのか、誰に対して言うのか、どういう文脈で言うのか、そういう無数のメタな情報を含めて解釈している。そしてそういうメタ情報がなければ、内容を正しく解釈できないので、非常にストレスになる。

 「なぜ○○なのか?」という疑問一つ取っても、本当にその疑問に対する回答を要求しているのか、修辞疑問的に相手を詰問するために言っているのかの解釈は意外と難しい。対面や電話くらいなら、声色や表情などのメタ情報から、相手の真意を構成することは容易である。しかし文字だけの場合は判別がつかない。足りない情報から結論を出さなければならず、その分の認知的なリソースが消費される。これによってストレスを感じることになる。

 レスポンスを待つリスクということもある。投稿したものに対してすぐ返事が来ることを期待して、それに対する次の反応を用意して待っていたらいつまで経っても来ず、しばらくして忘れたころにふっと返信が来て、その頃にはそのテーマに関する熱が冷めているのでどうでもよくなっていたりする。本当に面倒なのである。

 経済学的には、こういう諸々のストレスをひっくるめて取引コストという。実際に金銭的にかかっているコストのほかに、取引自体を成立させるために必要になっているコストという意味だ。この取引コストという概念を提唱したのはロナルド・コースという経済学者で、「なぜ、すべての仕事が(公開の)市場で取引されずに、会社なんてものが残っているのか?」という疑問から出発した。

 今の時代ならとくにそうだが、会社で行われる業務のほとんどは市場で取引する、つまり具体的に言えばアウトソースしてもかまわないようなものばかりだ。経理や総務の事務作業はそうだし、製造や営業もだいたいがそうだ。自動車や機械の設計だってアウトソースしているのがふつうだ。昔ならともかく現代なら、ランサーズとかで発注してすべて外注の、市場取引だけで仕事を完結させることができる。にも関わらず会社というものがあり、決まった従業員や取引先があるのは、市場取引のほうがコストやリスクが大きいからだ。つまり、簡単な仕事なのに毎回発注先を選定したり、価格交渉したり、あるいは品質が悪い場合のリスクなどを負担しなければならないというのは割に合わない。たしかに一個一個の取引で見れば、従業員を一ヶ月雇うよりも外注のほうが安いかもしれないが、それを成立させるためのその他の諸々のコストがあり、それが取引コストというものだ。決まった顔なじみの従業員が会社にいて、気軽に仕事を頼める。そこそこのクオリティのものを納期までに作ってくれて、あまり変なことはしない。それが従業員というものの存在価値であって、雇用という制度の本質だ。つまり市場取引における取引コストやリスクを下げるために会社や雇用が存在するのである、というのがコースの結論だ。

 最初のチャットやメールの例でいえば、「テキストメッセージを伝達する」という限りにおいてデジタルツールは非常にコストが安い。しかし、実際の人間のコミュニケーションは、文字のみに表象される記述可能な部分に留まらず、非言語的・非記述的なメタコミュニケーションも含めて構成されている。そしてこちらのほうがより本質的なメッセージの伝達になっているのであり、安易にデジタルツールに依存することは、却って取引コストを上げることになる。その結果が、現代社会におけるストレスとなって現れてきている。

 チャットなどでイライラするのは上のような取引コストが原因であるにも関わらず、人間には自分のストレスの原因を他人のせいにするという「根本的な帰属の誤り」という埋め込まれた心理的な欠陥があるため、他人が邪悪だから・バカだからこうなるんだというふうに誤認する。その結果、他人ともうまく行かなくなる。だからチャットはデータの送信とかメモ程度の情報のやりとりに収めておき、対面かせめて電話で話すほうがいいのである。これは老害の説教ではなくて、合理主義的な帰結だ。オレも老害は無視するけど。

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