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嗚呼、リヴァイアサン

 先日ヤフーニュースを見ていると、決闘罪で実刑判決が下ったという記事が出ていた。

「タイマンしたらええやんけ」などと促し、自らが管理していたキャバクラで、従業員の少女らに決闘させた罪などに問われた男に対し大阪地裁は15日、懲役2年6か月、罰金50万円の実刑判決を言い渡しました。

 起訴状などによりますと上野瑛一被告(31)は2022年8月、大阪市北区にある自らが管理するキャバクラで当時従業員の少女(17)と元従業員の少女(18)に決闘させ、2人が顔面を拳で殴り合うなどした結果、1人に骨折などのけがをさせた決闘罪や傷害の罪などに問われていました。

 近代に入るまで、決闘・果たし合いや仇討ちということは普通に行われていた。日本でも禁止されるようになったのは明治維新ののちのことで、上の記事で適用されている決闘罪(決闘罪ニ関スル件)は1889(明治22)年12月30日に公布されており、いわゆる仇討ち禁止令は正式名称を「復讐ヲ厳禁ス(太政官布告第37号)で、江藤新平が1873(明治6)年に出している。

 この決闘や仇討ちの禁止は、表向きは社会秩序の維持ということになっているが、その本質は「国家による暴力の独占」にある。ホッブズが1651年に『リヴァイアサン(Leviathan)』で記したように、人間は自然状態においては「万人の万人に対する闘争状態 bellum omnium contra omnes」であり、無秩序な混乱状態に陥ってしまう。これを防ぐためには、各人が持つ暴力を国家(コモンウェルス)に社会契約として譲渡しなければならないとする。そして、暴力を独占した国家はヨブ記に記される海の怪物・レヴィアタン(リヴァイアサン)のように怪物的な権力を持つようになる、ということなのである。

 だから、国民が勝手に暴力を行使することは許されない。それは国家の権威をおとしめることになるからである。権力とは他人の身体・財産・生命に危害を加える暴力のことであるから、民法上も他人に対して自力救済することは禁止されている。どんな民法の教科書にも必ず載っている「自力救済禁止の原則」も、淵源を辿れば「国家はリヴァイアサンだから」ということになる。自分が所有権を有していてさえ、他人の占有下にある物を他人の許可なく持っていってしまうと窃盗罪が成立しうる。これは一種の暴力の行使であるからだ。

 近代が終わる終わるとは言いつつも、国家権力はおそらくリヴァイアサンとしての暴力の独占を手放すことには最後まで抵抗することだろう。このような紛争解決のメカニズムの変遷という観点からも、今後の脱近代がどのように進んでいくのかはとても興味深い。

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