高校生に貸していたカメラが返ってきた
以前、高校生にカメラを貸した話を書いた。
EOS5DmarkⅡ 当時23万ほどで買ったカメラである。
そして、かなり長い間愛用してきたカメラだ。
これまで40Dを貸すことはあっても、5D2を貸したことはなかった。メイン機だったし、もしものときがあったら嫌だし。
けれども、彼女には40Dではなくてこちらを貸したいと思った。そのくらい一生懸命に撮っていたからだ。
そうして四か月。ふらりと彼女が訪ねてきた。
紙袋を二つ持って。
お、とうとうきたな、と思った。
彼女はカメラを返しにきましたと言った。
紙袋のなかには、プチプチにくるまれた懐かしい機体が入っている。
―ということは、とうとう買ったんだね。
そう訊ねると、うんと頷いて、「赤札市で買いました」
赤札市なんて久々聞いたなあ。
親とそんなにカメラに入れ込むなら、と、5D2を貸す前から話はしていたらしい。だから、このカメラを使いながら色々と参考にするといいよと言って貸したのだったが、さて、どんなカメラにしたのだろう。
返ってくる前に、どのカメラを買ってくるか、予想をしたことがあった。
おそらくはcannon。僕がCanonを貸したからね。使っているカメラに、マウントの縛りが無い状態でも引っ張られるもの。だからNikonには行かないだろうな、と思っていた。
Sonyも可能性はある。コンデジがSonyだからだ。α7Ⅲなんか、今けっこうお買い得な(スペックと比して)カメラなんじゃないかと思う。
いや、でもcannonだろうな。
そしてたぶんフルサイズ。ズームレンズをつけて。
そうなるとRPかRということになりそうだな。
どうでもいいというか、なんだか根暗というか、そんな予想をしたのだった。
でも、本当にEOS Rを購入した、と聞くと、さすがに、おお、なんとまあ、すごい買い物を…と驚いてしまったのだった。
別件であるが、同じく高校生でSonyのα6000シリーズを使っている男の子がいる。持っているレンズは高倍率レンズで、別に好きっていうわけではないのだけれど、いつの間にか、いつも鳥ばかり撮っているようになりました、という青年だ。
そんな彼が先日、「これ(暗所の撮影だった)どうすればいいんですか」と訊ねながらカメラを差し出してきた。そのカメラにはシグマの100-400がついているではないか。いつの間に…。
おいおい、ほんと、すっごいねえ……。
子どもの頃、親から「お兄ちゃんは、ちょこちょことお金を使いそうだけれど、あんたは、どんと高いものを買いそうだねえ、どっちにしても気を付けなさいよ」と言われたことがある。そうしてその予感は正しかった。兄貴のことも、僕のことも。趣味に対しても、兄はあれこれ首を突っ込む感じ(それでも釣りはけっこうハマっているようでお裾分けがときどきくる)。僕は一つ二つにぐぐっとのめりこむタイプだから、本当に親というのはよく子どもを見ているものだ。
僕のどかっと大きい買い物をする要因は、多分に幼少のころにあると思う。スーパーに行って、ほしいなと思うおもちゃつきお菓子のちょっといいやつを、指をくわえながら見ているような子で、親にそれをねだるようなことはあまりしなかった。(兄はねだりまくって、床に寝そべるタイプだったそうだ)なぜかと言うと、常々親から「お金がない」と言われてきたからだ。物心ついたころ、父は脱サラをして自営業を営み始めた。当時の家は、ちょっと小一時間ネタとして話ができるくらいにはオンボロだった。その辺はどこかの芸人にも負けない。まあ、傾いていた。物理的に。雨漏りもするし、なにより、窓がなかった。外との区切りが障子だぜ? それをまだ幼い僕らが指で開けたりするもんだから冬場は相当大変だったと思う。古民家にもほどがあるってもんだ。
自営業が軌道に乗って家を建て替えるとなった時、下校して来た時ちょうど家を壊すところだった。ショベルカーがキュラキュラやって来て、どん、と屋根を一押し、それでがっしゃーん、と壊れたような家だ。築100年は経っていたとのことだが、いや、まあ、ボロいにもほどがある。
夕飯もかなり質素な記憶がある。かなり親は辛抱していたのだ。(ごめんなさい、おかあさん、おとうさん、息子はこんな立派な浪費家になりました)
たぶん、その反動なのだろう。
ただ、お小遣いもなかったけれど、お年玉はすべて自分のものだったので、1月にもらったそれを如何に一年間計画的に使うか、という心構えがあったのかもしれない。欲しいものがあったら、かなり悩みに悩んで、残りの金額を考えて、そうして自分のなかでGOサインを出すかどうか、決断をする。考えてみると、今の自分の思考とあまり変わっていないと思うわけだ。
閑話休題。
だから、いやあ、すごいなあ、いいカメラやレンズ買ってもらうんだなあ、と本当に驚いた。ライトバズーカを持っている高校生、フルサイズ一眼を持っている高校生。羨ましいなと思った。
高校生や中学生が夢中になるもののメジャーどころに、たぶんスポーツとか、ダンスとか、ギター(最近見ない気がする)とか、そういうものがあると思う。ゲームもそうか。写真はこのスマホ全盛時代に、カメラを買ってまでやりたい、という人は多くないのではなかろうか。
そんななか、こうして夢中になって撮ろうとする人がいるのは嬉しい。いや、機材をいいのにすればいいってわけじゃないけれど。むしろ夢中になっているから、それを近くで見てきたから、きっと親が無理をして買い与えたのだろうと思う。そう、その機材は、「夢中」の証なんだと思う。
あと、幼少期の過度な我慢は、あとで良くない……のかもしれないな、ということも、ちょっと学んだような気がする。
遠藤浩輝さんという漫画家の、単行本の後書きに、こんなのがあった。以前にも書いた話だが、おおよその記憶で書く。
かなり曖昧な記憶だが概ねこんな感じ。
ああ、なるほどね、と、なんとなく思った。
若い頃に好きだったものの延長線上にあるものは、すでに素養は持っているだろうから、長続きもするだろう。練度が必要なものなら、上手くなる過程も早いだろう。
けれど、仕事も引退したし、家にいてばかりじゃよくなかろうとして無理に見つけた趣味らしきものは、果たして続くだろうか。
人それぞれだろうけれど、僕はちょっと自信がない。
なんにしても、是非ともいい写真を撮り続けて欲しい。撮って欲しいんじゃなくて、撮り続けて欲しい。そうしていつかやめちゃったとしても、どこかでそれが、その夢中になったと言うことが、人生の糧になれば、この出費は意味があったって言えると思う。
僕の場合はそんなキレイゴトでは済まなさそうだが。
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