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カメラのある暮らしを綴りたいと思います。fujifilm、leica、大層なことは言い…

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カメラのある暮らしを綴りたいと思います。fujifilm、leica、大層なことは言いますが、中身はさほどかも知れません。

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【100枚超】これまで使ってきたカメラの羅列とその写真(2024.3月10日更新)

 どのくらいのカメラを触ってきたのか、レンズはどんなのを使ってきたのか、その忘備として、カメラ、レンズを羅列するだけの記事です。 ミノルタα7000 父親が持っていたカメラ。発売年から察するに兄が小学校に入って運動会などを撮るために買ったと思われる。それ以前の写真は、謎にプラスチックな、フォーカスも目測なカメラが家にあったので、それで撮っていたんだろう。  大学に行くと、写真学科の先輩や同輩がマニュアルカメラを颯爽と肩にかけて闊歩し、時々写真を撮ってくれていたのに憧れ、帰省

    • 日常を愛おしく思う瞬間にカメラはいらない。

       先日発熱をして、仕事を休んだ。夜中には39.7℃をマーク、接触の記憶もないが、もしかしてインフルかコロナか、と危ぶみ、家族とは別の部屋で休んだ。  その部屋は子供部屋だが、まだ幼い2人にとってはおもちゃのある部屋で、そこで遊ぶというよりはそこからおもちゃを取って階下に降りていく、今はそんなふうに使われている。  仕事を早引けして寝ていた僕の元に、ててて、と子どもたちがそれぞれにやってくる。 だめだよ、父ちゃん風邪引きさんだから、近づくとお熱出ちゃうよ。  そういうと、3

      • はたはた。

        • 「私」が不在する写真。「私」を物語る写真。「私」が語る写真。

           トモコスガさんの動画を見ていて、目から鱗が落ちるような感覚を得た。  ここで語られていることは、考えれば当たり前のことなんだけれど、写真表現は自分の抱えている問題を浮き彫りにして表現する手段としても有効なんだよな、と。  そんなことをすっかり忘れていた。  僕はもともと文章を書くことを学んだ、というか好んだ人間である。(で、その程度かい、というツッコミはご容赦願います…汗)  なんならトモコスガさんと学科は違えど同じ大学、学部に通っていた。年齢的には、トモコスガさんが多

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        【100枚超】これまで使ってきたカメラの羅列とその写真(2024.3月10日更新)

        • 日常を愛おしく思う瞬間にカメラはいらない。

        • はたはた。

        • 「私」が不在する写真。「私」を物語る写真。「私」が語る写真。

          桜から鯉のぼりの季節へ。

          桜から鯉のぼりの季節へ。

          桜はなぜ美しいのか。

           桜の花を見る。  特にソメイヨシノはその花自体そんなにきれいだとは思わない。  ソメイヨシノの薄い色は、春の青空によく映えるが、花そのものを見るとなんとボンヤリした花びらなのだろうと思ってしまう。  たとえば色鮮やかなチューリップとかコスモスなどの方が、見ていてきれいだと思うし、桜同様日本の代表的な花である菊にしても、こちらの方が見応えがあると思う。ただ、それは花そのものの話であって、桜は花そのものではなく、花の持つ空気感を、僕らは見つめ、そして良いと思っているのではない

          桜はなぜ美しいのか。

          いい光が差し込んでいた。

          いい光が差し込んでいた。

          菜の花とF15イーグル

          菜の花とF15イーグル

          シャッター半押しという発明。

           シャッターを半押しする、という行為を当たり前にやってきた。  渡されたα7000で兄の徒競走を撮るときに、父から 「シャッターを軽く押せ。マークが点灯したらシャッターを深く押せ」  と習った。それが小学生のころだから、それから30年以上、半押しを当たり前のようにしてきたことになる。  ところがこの半押し、初めてカメラを持つ人にはちょいと分からないらしい。ピントを合わせるためにシャッター半押しするんだよ、と伝えても、全押ししてしまったりする。考えてみると、この半押しというち

          シャッター半押しという発明。

          花を花として撮るのはポートレートと同じ感がある。きれいなもの、かっこいいものを、いかにそれ以上として撮れるか。難しいのでやれないが、それでも桜は撮りたくなる。

          花を花として撮るのはポートレートと同じ感がある。きれいなもの、かっこいいものを、いかにそれ以上として撮れるか。難しいのでやれないが、それでも桜は撮りたくなる。

          レンズ3本。

           旅行でのレンズの組み合わせで最適なのはどんなだ?などと仕事の合間に妄想したりする。  すると、それなら28-50-90かな、と思ったりする。近い焦点距離の方が使いやすいかも、という投稿を先日したばかりなのに。(あれはあくまで日々のスナップにいいんではないか、という発想でして)  それは、たとえばカメラ二台運用する時も28と50とか、50と90とか、程よく焦点距離が離れているし、28と90という組み合わせも良さそうに思うからで、そういや、最近よくやっていた組み合わせだな、と

          レンズ3本。

          ブライトフレームに見る夢

           ライカを初めて手にしたのはM3で、職場の先輩、というか上司が空き時間に覗かせてくれた。  その時はあまりピンと来なかった。ピントだけにね。こんな曖昧な枠で構図が取れるのか、と。  そのM3はその後我が家にやってくることになった。僕はそれをケーキ数個で譲り受けた。 (この辺りからおかしなことが始まったんだな)  FUJIFILMのX100シリーズで、ブライトフレームの楽しさに目覚めた。写真に写る枠の外が見えるというのは、なんとも自由な空気を感じさせてくれた。外からやってく

          ブライトフレームに見る夢

          ちょっとnoteを振り返ってみた。巧拙はともかくよくもまあこんなに長々ととした文章を書いてるもんだ。カメラをネタに文の練習をしようっと、ライカゲットした嬉しさもあるし、という感じで始めたが、まあ2年間毎週書く内容見つけてるな、と呆れてしまう。

          ちょっとnoteを振り返ってみた。巧拙はともかくよくもまあこんなに長々ととした文章を書いてるもんだ。カメラをネタに文の練習をしようっと、ライカゲットした嬉しさもあるし、という感じで始めたが、まあ2年間毎週書く内容見つけてるな、と呆れてしまう。

          カメラは左手で支える。右手は暇な方がいい。

           カメラは左手で支えるものだ、と何処かで聞いたことがある。なるほど確かにその方が脇をしめられて、安定が増す。  肘を脇腹に当てて三脚よろしく自分の体幹を意識する。足は空手とか武道の構えだ。(幼少期から高校まで少林寺拳法をやっていました)呼吸を止めてそろりとシャッターを切る。  これくらいすると、手持ちでもスローシャッターが切れる。多少のブレはまあ、気にしない。  そんなことを思ったきっかけは、とある動画を見て、? となったことだった。とても細かく丁寧な機材レビューをされてい

          カメラは左手で支える。右手は暇な方がいい。

          高校生に貸していたカメラが返ってきた

           以前、高校生にカメラを貸した話を書いた。  EOS5DmarkⅡ 当時23万ほどで買ったカメラである。  そして、かなり長い間愛用してきたカメラだ。  これまで40Dを貸すことはあっても、5D2を貸したことはなかった。メイン機だったし、もしものときがあったら嫌だし。  けれども、彼女には40Dではなくてこちらを貸したいと思った。そのくらい一生懸命に撮っていたからだ。  そうして四か月。ふらりと彼女が訪ねてきた。  紙袋を二つ持って。  お、とうとうきたな、と思った。

          高校生に貸していたカメラが返ってきた

          九州の小京都をポタリングフォトする。

           平日休みがあったので、少し遠出した。  宮崎県日南市飫肥。飫肥城があったこの地は今、九州の小京都の一つとして数えられており、いわゆる城下町の風情を味わえる町となっている。  この地に来たのは実に久しぶり。  ちょこちょこと、新しいお店なんかもあって気になるも、月曜日だったからか店休日が多く、しかしそこそこの人出もあって、ちょっと観光の気分に浸ることができた。  本当は、日南海岸沿いに咲く山桜を撮ろうかと思っていたが、桜の花は既に散り始め、葉桜となっているものも多く、道の駅

          九州の小京都をポタリングフォトする。