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超・素人

いつかのホニャララLIVEで星読みのyujiさんが「超・素人」といった趣旨の発言をされていた。…と思うのだけど捏造した記憶かも。。ずいぶん前の話なのでかなり怪しい記憶。もしかしたら自分で言ったという説もなくはない。。

どちらにせよ「超・素人」と言うのはとても面白いコンセプトだなと感じたのは鮮明に覚えている。「素人を超える」と言うわけだから、innocentの領域に達するか、あるいはプロとしての素人を振る舞うかのどちらかだろうと思う。前者は大人には到底難しい。アダムとエバは禁断の知恵の実を食べてエデンの園を追放されたわけだけど、一度知恵を手にしたものがinnocentになることはまずあり得ない。とすると「超・素人」に残された道はいかにして「プロの素人」になるかという一択のように思える。

プロの素人というのもナンセンスな言葉だ。おそらくプロ(玄人)の対義語が素人だろうから。ただし概念的には素人のプロ、つまり「超・素人」は大いにあり得る。

例えば、僕がパーソナルトレーニングを受けているトレーナーは身体の専門家だと自分では言っているのだけど、身体を突き詰めた結果、彼は精神やマインドにもかなり優れた感覚を持っている。それでも彼は「精神面の変容を起こすトレーニングです」などということは全く言わない(最近ちょっと言い始めてて、そうじゃなくね?って個人的には思っているのは内緒ね)。身体の専門家だからこそアプローチできる精神世界があるだろうと感じるし、初めから見えない世界を目的としてしまっては、フィジカルトレーニングの効果も薄れるだろうと思う。

僕自身もちょっとそれに近いものがあって、僕は「ふつうの40代男性」を自負しているのだけど、「ふつう」という割にはエネルギーワーク、ボディワーク、占術、ヒーリングワーク、怪しげなヤーツ、などなどを受けてきている。一部自分自身もトレーニングに参加したこともある。それが活きているのかどうかは知らないけれど、『大人のお絵描き教室』で参加者に対して発する僕の言葉から、なんか潜在意識に響いただの、自分の課題を言い当てられただの、まさに今向き合っている魂の宿題だーだのと嬉しい言葉もいただく。「井出さんのお絵描き教室は新種の占いのようだ」と言われたこともある。いずれも悪い気はしないのだけど、だからと言って僕が自ら「スピリチュアルお絵描き教室」とか「お絵描きヒーリング」とか「魂のお絵描き教室」とか言うつもりは毛頭ない(いずれもいかがわしさ満載ねw)。僕はあくまでも表現の機会を作り、表現のプロセスから見たその人のなすべきことを淡々とお伝えしていく、と言うことに徹することが良いのだろうと思うのだ。

つまりね、「〇〇のプロです」と言った瞬間から始まるバイアスもあるだろうと言うことが一つ。それからもう一つは、こっちが重要なのだけど、何かしらの専門家(プロ)も別の側面から見れば素人なわけですよ。プロ野球選手は野球のプロだけどサッカーは素人。お寿司も多分素人。占星術もきっとそう。これはどんな業界でも概ねそうだろうと思う。各方面に高い専門性を発揮する人もいるけど極めて稀な存在でしょ?つまり素人というのは人間社会の超マジョリティだと言えるわけ。

テレビ番組を見ると必ずと言っていいほどコメンテーターと言う人たちが出演しています。コメンテーターは何かしらのトピックスにコメントするわけですが、そのトピックスの専門家とは限らない。むしろ門外漢みたいな人たちの方が多いと思います。それでもコメンテーターが求められるのは、多くの視聴者の代弁者であり、共感や反論を発生させるための装置のようなもの。これは少し超・素人のイメージに近い気がする。

つまり素人だからこそ感じることや思うことがあり、ただそれを言語化できないと言うことも大いにあり得る。ならばそれを言語化・視覚化してくれるのが超・素人なのかもしれない。などとふと思いました。ちなみにYouTuberのうち「〇〇系」と言う冠がつかないYouTuberにも、超・素人的な人は見受けられます。彼らは誰でもできるけど、誰もやってなかったことを。誰でもできることを、誰よりもユニークにやっている人たちなのだと思います。

そんなわけで、デザインや企画、ディレクション等のお仕事は専門性を発揮してこれからもがんばりますけど、自分のYouTubeあたりでは「超・素人」的な部分でも楽しんでいこうと思っております。


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