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ホニャララLIVE #026 有本匡男(ボディワーカー)

風まかせ。神(上)まかせ。

有本匡男とは何者か?

ゲストは有本匡男さん。僕は元々1〜2度ですが面識があります。まだまだ一体何者なのか、掴みきれない方でもあります。

現在なんとなくわかっていることは、いくつかのNPO法人をはじめとする団体の理事やメンバーに名を連ねていらっしゃること。広い意味でボディワークに精通しており、ケアを含めたセラピーを行えること。セラピストのためのセラピーを行える熟達者であること。ただし、ご本人はケアやセラピーというマイナスをゼロにするための活動よりも、ネガティブもポジティブも受け入れるという超自然体でいらっしゃることを実践中であること。などなど。

ひいては自分(私)という身体と精神を用いた実験者であるということ。

哲学の生まれる場

つまりこれは哲学です。今回は哲学だと思います。古代ギリシアの哲学者たちが、丘の上であーだこーだ言い合ったようなものだと思います。少なくとも有本さんに何かを尋ねて「わかりません」と答えが返ってくることはない。それは単に知識や経験の量ということだけではなく、ある知識と別の知識を接続して思考する能力や、実践に基づく類推を行っているということだろうと思います。

哲学とは真理を指すのではなく、真理を追求する時間や行為を指すのかもしれません。そんなわけで、この日のホニャララLIVEはいつも以上に何も決めずに臨みました。この日の話は上まかせ。

ドライブするおしゃべり

とにかくドライブ感のすごい回だったことは確かです。話は冒頭からテーマを決めない話。今回のテーマは「身体と精神」となっていましたが、これは結局何でも話せるくらい壮大なテーマです。つまりテーマはあえて決めてないとも言えるわけ。

有本さんとのほニャララLIVEの超訳はとっても難しいですね。これは言うなれば、言語化を否定しながら言語化に挑むようなものだと思うんです。あるいは、ロゴス(論理)ではなくホロス(全体性)による言語化は可能か、というようなもの。

無意識に意識を綴る

これはもちろん可能だろうと思います。しかし、それができるのはZEN Masterの領域。未熟な僕にはやはり思考にある種の恣意的な方向性が生まれてしまう。LIVEの中で有本さんに「全体性(ホリスティック)」ということの矛盾(だと思える事象)を尋ねたところ、ロゴスの時代からホロスの時代へ。という変遷の話とそこから起きる人間の意識の変化のことが出てきました。

これは言い換えれば、yujiさんの言う「土の時代から風の時代」といこととシンクロします。目に見えるものから目に見えないものへ、定着から不安定へ。不安定とかくと安定を否定ているようでもあるので、そうではない。不安定ということはどちらにも傾くことができるということ。あるいはタンポポの綿毛のようにどこにでも、赴くことができるということ。

ここで大切なのは、おそらく話を無理にまとめないこと。要するに「要するに」と言わない(書かない)ことだろう。この回のホニャララLIVEは観ている方から「神回」との声が多い。中には「神様回」というコメントも頂戴している。神回とされるニュアンスは多々あるけれど、今回は未知なる叡智と向き合った2時間という意味で神回なのだろうと感じている。

だとすれば、わかったようなふりをしない。というのは少なくとも僕に求められる態度だろうと思う。わからないことがわかるようになる、知ることができる。というのは、人生の大きな喜びの一つだと思う。小さな子どもたちは世界を知るために日々の生活でたくさんの情報をキャッチしている。

自動記述マシンとしての自分

しかしながら、わからないものをわからないままに、謎として向き合い続けるということも人生の大切な時間の一つだ。逆に言えばわからないからと匙を投げることもしないし、誰かの見解を鵜呑みにすることもない。あるがままに、しかし外に向ける思考同様に内に向く思考にも敏感になっていこう。

ということで、有本さんのホニャララLIVEの超訳は、アーカイブを全く見返すことなく、上(?)から降りてくるものに意識を向けつつ、自動記述するがごとく書いてみました。

おそらく支離滅裂なテキストだろうから読み返すのはやめておこうかな。

2020年10月17日


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