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存在しない日記 2021.3.24

これは架空の人物による、架空の出来事の日記である。空想の日記。妄想とも言う。つまりこれは存在しない日記。

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2021年3月24日

外出のない1日だった。父の跡を継いで社長業をやるようになってからは、1日中事務所にいるということも少なくないが、それでもやはり感染症の影響によって、外出の機会はこの一年でかなり減った。

仕事の合間に「ライブカメラ」で検索してみると、想像以上にたくさんの結果が出てきた。観光地や活火山を観察するものなどは予想していたものではあるが、渋谷だけでもスクランブル交差点、公園通り、タワーホテルからの眺望など、複数出てきたのには驚いた。スクランブル交差点だけでもアングル違いなどいくつもあるではないか。

中にはカメラの向きやズームを操作できるものもある。自分が操作している時に別の誰かが操作したらどうなるのだろう?

これがずっと見ていても飽きないどころか、しばらく眺めていると、カメラが映し出すその場所を鳥のように飛んで、空から眺めているかのような錯覚に陥った。

まるでVRゴーグルでも着けているかのように、1アングルしか映し出していない映像の中を自由に飛び回り、近づいたり、地上に降りたりすることができた。もちろん意識の中で、ということではあるが。

移動や外出が制限されるこの時代においては、もしかすると最適な遊びなのではないかと思えた。あるいは新しい旅の仕方ではないかとすら。

もちろん、モニタを眺めているだけではいけない。テレビの紀行番組と変わらない。大切なのは、カメラを操作するということと、それがリアルタイムであると言うことであり、故にしばらくすると没入感が生まれるということだ。

この没入感こそが「旅」の体験につながるのかもしれない。

禅宗の僧侶は座禅を組んでいるときに、自分を俯瞰して客観視できるような感覚があるらしいのだが、この感覚はそれに近いものなのかもしれないと思う。だとすれば私にとっての座禅はライブカメラを眺めることだ。どことなく誇らしい気持ちになった。

昼食は遅めの時間に出前を取った。社内にいた数人に声をかけて紫金飯店に注文をした。冷やし坦々麺の季節が早く来ないかと今から待ち遠しい。通年やってくれれば私は食べるのだが。

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