救うんじゃなくて

ポジティブに物事をとらえる、ということを、私は普段から意識しているつもりでいた。でもそれが足りていないことを知るのは意外と単純なことからなのかもしれない、というだけの記録を綴ろうと思う。

今朝、とあるゲームのシナリオを読んでハッとした。
私は誰かを励ますことを「救う」と表現していたのだが、そのシナリオでは「背中を押す」と表現されていたのだ。

びっくり、した。言葉の捉え方1つでこうも印象が変わるものなのだ。

「救う」というのは手を差し伸べること。大丈夫だよと声をかけて、側に寄り添うこと。
でも「背中を押す」というのは相手を信頼していないとできないことのような気がした。何か根本的なところが違っていて、たぶんきっと、ポジティブとかネガティブとかでは言い表せないような、相手を思う気持ちと、自身の成熟さと。

「救う」という言葉には、相手を下に見ているというニュアンスが含まれているとどこかで聞いてしまったことがある。私はそれにショックを受けたし、反省をなどをしたのだが、つまりそういうことで、「背中を押す」は相手と対等でも使えるような、そんなイメージがなんとなくある言葉なのかもしれない。

なんというか、そんなちょっとしたニュアンスの差が、こんなにもきらきらと光るのだな、と。

私に足りていないものを見つけると同時に、私は今背中を押されたんだなと思った。暗いところから這い上がれるのは結局自分自身の力が必要だから。あなたなら大丈夫、と信じる気持ちがあるこの「背中を押す」という表現を、私は大切にしていきたい。

きっとまた、救いたくて、救われたくて、仕方なくなるだろうけど、今だけは、あなたの背中を押させてください。あなたなら、大丈夫。信じているよ。

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