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溢れる情報に呑まれて溺死しないために心がけていること



「新型コロナ終息後も、おそらく社会は元通りにはならないだろう」

 最近の記事でそんな言説を見ました。私も、同感です。新型コロナ感染拡大防止のための外出自粛、休業要請での経済的なダメージは甚大なものになる気配です。「『最も楽観的な見込み』でリーマンショック時の経済損失」という試算もあります。こういった先行きの見えない状況下において重要になるのは、やはり情報です。

 しかし、こういう時節柄、もうめちゃくちゃいろんな情報が錯綜していますね。何が合ってるの? 何が正しいの? デマに惑わされないためには? デマを流す人も自分が間違った情報を流しているという自覚がない場合もあったりして、見極めは非常に難しい。しかし、この世界に流布されている情報すべてに共通していることがあります。それは「すべての情報には方向性がある」ということです。そこの理解が、情報の渦による混乱を防ぐために大変重要になります。


 いろんなニュースや記事や発表が発信されている目的は、第一には「その情報を広く知らしめる」事ですが、それだけが目的、ということはまず無いです。必ず、見聞きした人の思考をある方向へ誘導しようとしていたり、願望が含まれていたり、その情報の発信者の利益を図る方向性が付加されていたりします。特にこういう社会的不安のある時分には、そういうものがあるという前提でそれを差し引いて情報に接することが重要だと思います。それはたとえば、政府の出している情報に関してもそうだし、政府を批判する記事に関してもです。双方ともです。


 あともう一つ、「物事には、必ずそうなっている理由がある」ということも念頭に置いておくべきだと思います。当然すぎることですが、今この状況になっているのにも、そうなる理由や経緯や事情があります。人は往々にして、わかりやすい理由を求めるし、信じたい都合や物の見方があるし、自分以外の誰かのせいだと思いたいものです。それは仕方ないことです。大事なのは、その自分の信じたい見方で見ている視界の先に、何が待ち受けているのかまで、よく見て自分なりの予測を持つことだと思います。今は特に難しい状況です。単純な物事は無いです。いろんな要素が、複雑に絡み合って現在の状況を作り出しています。視野を広く持っていないと、その全ては見えません。


 情報過多の時代、とよく言われます。マジでそうです。ぼんやりしていると、誰かの流した情報にあっさり流されて、「こんなこと私は望んでいなかったのに」という事態に簡単になってしまいます。そして、そんなふうに
自分の人生のコントロールを失わないために、一体何を信じたらいいのか。それを判断するのが、非常に難しい時代だとも思います。もしかしたら、流された方が楽かもね。



 それを知ったところで出来ることは何もないかもしれない。多分そういうことのほうがずっと多い。でも、知識というものは一生自分の財産になり、失うことはない。普段は忘れていることでも、必要なときふと思い出すということがあります。いつかわからないけれど、いつか役に立つときが来る、そういうものを、今は蓄積していきたいと思っています。



 ・・・さて、私のこの投稿には、いったいどんな願望が含まれているでしょうか。




最後まで読んでくれてありがとう。 無職ですが、貯金には回さないと思います😊