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電車の座席譲り譲られ

この前、時間(17時台)の割にかなり混んでるなぁと思いながら電車の座席で揺られていたところ、視界にマタニティマークが飛び込んで来たので、立っておられたその女性に即座に席を譲りました。

電車で座っている時に、目の前にマタニティマークを付けた人が立つことは意外に少なくて。
席を譲ったのは久方ぶりでした。
私の前に立ってくれたらすぐに席譲るのにぃと思いながら、何なら優先席に座ってることもあるのですが(譲らない人が座り続けるくらいなら、即座に譲る意志のある私が座ってる方がマシ理論)、なかなかそう上手くはいかないのが現実です。

元々席を譲る行為に抵抗のないタイプでしたが、見知らぬ人に声をかけて席を譲るというのはなかなかにドキドキするもので、昔は勇気を振り絞って声をかけていた記憶があります。
が、自ら妊娠出産育児闘病を経験して以降、ドキドキはゼロになり、平常心でそっこー譲れるようになりました。
個人的には、良い進化を遂げたと思っている。

それはやはり、ひとえに席を譲っていただけるありがたさが骨の髄まで沁みてるからに他なりません。

息子がお腹にいた頃(早8年前、、、)私もバッグにマタニティマークを付けていました。
私は、マタニティマークを身に着ける最も重要な理由は、万一道端や公共交通機関内で意識を失ったりした際に、妊娠中だということを確実にわかってもらうため、だと考えています。
妊婦に対して行えない医療措置は山ほどありますからね。
だから必ずしも席を譲ってほしくてマークを付けているのではなかったので、あまり他人様にプレッシャーをかけてもよろしくないと思い、電車に乗る時はなるべく優先席エリアで立っているようにしていました。
それもプレッシャーだよ、と言われたらそれまでですが。。。

妊婦だった十月十日、産休に入るまではほぼ毎日のように電車に乗っていたわけですが、席を譲っていただいたこともそうではなかったことも経験しました。

先にマイナスっぽい方を書きますけど、席を譲られないことに関しては、私自身は別に構わない。
ただ、相対的な弱者が目の前にいても手を差し伸べようとしない強者の方が多い社会になるのは望ましいことなのだろうか、と、今でもぼんやり考えます。
強者が永遠に強者であることはなく、誰もが何かの折に必ず弱者になる。
弱者に優しく出来ない社会を構築すれば、結局自分も苦しむことになるのではないか、と。
いろんな意見がある部分だとは思いますが。

幸い(?)記憶が色濃いのは、電車で席を譲ってくださった数多の方々のことです。

折り畳んだベビーカーを持ってご家族の隣に座っていた男性が、私のマタニティマークを認識するなり即座に立ち上がって「どうぞどうぞ」と満面の笑みで席を勧めてくださったこと。

妊娠8ヶ月頃の休日に夫と電車に乗っていたら、20代前半?と思われる男性に「こっちこっち、席ありますよ」声を掛けられ、つられるように付いていくと、友人と思われるもう1人の男性が確保していた席を明け渡してくださったこと。

極めつけは、妊娠中でもゴリゴリ働いていた私が毎晩19時台くらいに決まった車両に乗って決まった座席位置(最寄駅で出口に最短距離になる位置的な)に立つと、概ねそこには50代と思しき男性が座っておられ、無言で私に席を譲ってくださったこと。
会うたびですよ。週によってはほぼ毎日ですよ。
で、私の最寄駅に着くと阿吽の呼吸で席を交代する笑
毎回お礼は伝えていたけれど、この男性の声は聞いた記憶がない。
だけどとても優しかったということだけ、今も鮮やかに蘇る。
最後に席を譲っていただいたのがいつだったのかも、覚えていないけれど。
おかげさまで、産休まで元気に通勤することが出来ました。
あの時お腹の中にいた息子は、無事に産まれて、今年小学生になりました。
本当にありがとうございました。
と、今からでも、会ってお礼を伝えたいほどに感謝しています。

息子が産まれてからも、エルゴで彼を抱っこして、よちよち歩きの彼の手を引いて、電車やバスに乗ると時折席をお譲りいただくことがありました。

その全てが、只々ありがたかった。
一期一会で席を譲ってくださった数多の人に、どうすれば恩返しが出来ただろう。
現実的にそれは難しいから、私は、見知らぬ誰かにその恩を返す。

そんなつもりで、今日も電車に揺られています。


ちーなーみーにー。
公共交通機関内で席を譲ってくださるのは実は男性の方が多かったこと。
マタニティマークを付けていたり赤ちゃんを連れていると時折席をお譲りいただけることがあるけれど、右胸再建中にヘルプマークを付けていた頃はただの一度もそんな経験はしなかったこと。
この2点は、若干ブラックな記憶として私の胸の内に鎮座しております。
被害者意識としてではなく、この社会の未成熟な一面を体感したという意味で。

決して席を譲らない人が悪人ということでもない。
見た目にはわからない事情を抱える人もまた数多いる。
右胸再建中の私がそうであったように。
だからこそ、元気な時は他者を助ける側に回れる人間でありたい。
そういう気持ちを、生涯忘れずにいたい。
願わくは、同じように思う人が1人でも多い社会であるように。

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