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最果てにいる眼鏡屋|二拠点生活の再構築

1月、小休止をしてる
平日海辺、週末都市の暮らし方を模索しているが、どこにいたって冬は寒くて起きられない。低気圧に弱いんだ、と嘆くと、気候のせいにしない自分になろうな!と言われ、ハッとした。

都市に帰った際、墨田区菊川に新しくできた小さな映画館「stranger」にてアキ•カウリスマキ監督「枯れ葉」を鑑賞。

シネフィルのDNA

約10数年前に、リュック背負ってひとりでフィンランドへ行ったとき、ヘルシンキの路面電車に揺られてうたた寝してしまい、慌てて降りた所が寿司屋の前で、とりあえず寿司食べた。そのあと、どうやって宿まで帰ろうか?と困っていたら、隣にいた無愛想なおじさんとおばさんが途中までいっしょに帰ってくれた。北欧人って超個人主義なのに見守る優しさがある。アキ•カウリスマキの世界観。街にWiFiが飛んで無い時代、異国で迷子になることも、ひとに道を尋ねることも、当たり前だった…!脱線。
ここ、下町の映画館にいるみんな、どこから来たんだろう?地元のひとも多いと思うけど、わたしみたいに、わざわざ電車で1時間かけて来てるひともいるよね?映画を愛する老若男女に囲まれていると思ったら、胸がいっぱいになった。体験価値と空間の共有かぁ。帰り道、江東区深川にある小津安二郎監督の生誕の地に寄って、門前仲町で馬刺しを食べた。

永遠に通じるものこそ常に新しい
1903.12.12-1963.12.12 小津 安二郎

2月、海辺で販売活動
(あのひと眼鏡屋さんだよ)の口コミによって、地域の人から眼鏡作成の依頼を受けるようになった。つくった眼鏡をお渡しするため、おうちへ訪問。おばあがわたしを受け入れている安心感から、時間を忘れて1時間話し込む。納品だけなら10分かからず終わるのに。先日映画館でも似たようなことを感じた。上映時間80分に対して電車往復120分。使ったコストを上回る価値あるタイムを過ごした。コスパもタイパも良い。(この用語使うと一気に軽薄)

野良出身のねこ、akaちゃん

2月某日、雨雲が来る前に食糧の買い出しに出かけた。近所に住んでいる寡黙なフォトグラファーとばったり会い、流しのギター弾きがいるお店へ行き、その二人と最果ての眼鏡屋のわたしの三人で、さらに最果てにある欧風カレーを食べに行った。すべて成り行き任せ。

シズル感ある牛すじカレー

この日、わたしたちが住む房総半島には暴風雨がきていた。眼鏡を渡しに行ったとき、災害の不安を口にしたわたしに、おばあが言った。

「この町にはお寺があっちにもこっちにも3つもあるから護られてるんだ、私は毎朝お経読んでるんだよ、安心して暮らしなよ」

経験と習慣。これは元漁師の妻だから出てくる言葉。

つづく…現在に追いついた

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