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bonobosの解散によせて

bonobosが解散した。それもあっけなく。

昨年夏のリキッドルーム公演がわたしにとって彼らの音楽を生で聴く最後の機会だった。壮大だった。余韻に浸りながら、リキッドルームから恵比寿駅までの10分はなにかが鳴り止まなかった。

さまざまに変化したクィアなバンドはあっけなく解散した。いや解散という言葉ではない、霧散してしまったような。bonobosは霧のように眼前から消えてしまった。ユーチューブの野音ライブのアーカイブを観ながら、「In rainbow, I'm a rainbow too」を聴きながら、人工煙に映る虹を見ながら、いやあれは寒い東京の霧だったのかもしれない、起こっていることすべてが忘却されていくような感覚を覚えた。しかし、われわれに残っている唯一の救いは「三月のプリズム」が忘却の波に錨をおろす、あるいは受け流すように、音楽たちが霧散しないという事実だということ。それを飲み込みながら、われわれはもとの暮らしに戻らなければならない。

現在のバンド編成になってから『23区』、『FOLK CITY FOLK .ep』、『.jp』という、東京そして日本という「霧」のような概念に寄り添い、真っ正面から批判した三部作を発表し、そのまま霧のように消え去ったbonobosというバンドはつねに忘却されつづけた。変化しつづける音楽性、あるときは自然とともに、あるときは社会を切りつける刃として機能する蔡くんの歌詞。「Not LOVE」では在日コリアンとしてのアイデンティティを「愛」と重ね、トリリンガルのメッセージとして海に流し、「YES」では「エス」というあらゆるクィアな欲望を「イエス」と高らかに肯定する。それは社会的であり、「千年後」という我々が生きていない未来についても描く。時間を超えた想像力は『ULTRA』や『HYPER FOLK』のころから変わらない。

代表曲「THANK YOU FOR THE MUSIC」と同じくアルバム『Electlyric』に収録されているレゲエナンバー「あの言葉、あの光」が演奏されたとき、わたしは驚きとともに昔のボノボを思い出した。SoundCloudでTYFTMで出会ったときの中学生のわたしはあのダサいアルバムのカバーを見て、そしてダサいレゲエのリズムに乗って、音楽の楽しさを覚えた。身体が勝手に動く音楽だった。その感覚は身体に深く刻まれている。それは霧のようにはけっして消え去らない。bonobosという錨がおろされているかぎり、千年の渚が穏やかであるかぎり。

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