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この子の未来のためにできること

私には娘がいる。彼女はまもなく2歳になろうとしている。

活発で、利発で、それでいて少し不器用な子である。不器用さは私譲りで、申し訳ないなと思っている。

私は双極性障害の2型である。産後うつも経験した。今でも情緒不安定になることが多く、特に月経前の感情の振れ幅がつらい。

娘は、母親がそんな病気なんて分かるはずもない。しかしこんな母親でも、娘は寄り添ってきてくれる。ちょこんと私の膝元に来ては、クレヨンで絵を描いたり(実際は色とりどりの丸や線やごちゃごちゃしたもの)、絵本を持ってきては、ページをめくって「にゃおう」とネコを指差し、ブタが出てくる場面では、私が「ぶう」と言うことが分かっているので、私の人差し指を何度もブタの鼻にくっつけては笑う。しかし絵本の読み聞かせには無関心である。

そんな中で特に寝かしつけの時間が娘と私の大切なふれあいの時間である。私も夫も平日は仕事なので、平日にゆっくり娘と過ごす時間が、必然的に「寝かしつけタイム」になる。夫にお願いすることもあるが、基本的には私が娘を寝かしつけている。𠮟りつけたりした時、「寝かしつけタイム」で私は娘と和解する。娘は、私のお腹の上に頭を乗せて眠りにつく。何故そうするのかは、分からない。もしかしたら安心するのかもしれない。娘が眠りにつく時、私のささくれだった心が静まり返っていくのを感じる。私も、娘から安心を得ているのかもしれない。娘が完全に眠りについたら、その小さな身体を抱え、彼女のベッドにそっと寝かす。彼女の寝顔ほど、美しいものはないと思う。

私が時間があって娘を保育園へ送ることがあった。駐車場から保育園までの間に、大人だったら1,2歩で歩ける小さな小高い丘がある。車を停めてひとたび外に出れば、娘は一目散に雑草が生い茂るその小さな丘をたどたどしい足取りで、ずんずん登る。登りつめると、朝露に濡れるのもお構いなしに座り込む。そして嬉しそうに雑草に触れる。夏の朝のひとときだった。蒸し暑いが、太陽の光が娘や丘をきらきらとさせる。目に焼き付けるように、私はその美しい情景を見ていた。

この子の未来のためにできること。

それはきっと「見守る、見届ける」ことなのではないかと思う。

この子の満ち溢れた無限の可能性を潰すことなく、見守り、成長を見届けること。私が病気でも関係無い。彼女の溢れんばかりの「光」に影を落とさぬよう、見守って。



#未来のためにできること

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