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幸せを願う相手がいること

 友人の結婚式に出席した。これまで、仕事や天候が原因で仲のいい友人達の式にことごとく参加できず、そのうちにコロナ渦になってしまったので、実はこれが初めてだった。

 本当に幸せな時間だった。先月、自身の結婚式を挙げた時にたくさんの人から「素敵な時間をありがとう」と言われて、こちらこそ来てくれてありがとうと思っていたのだけれど、参加する側になってその言葉が心からのものであることを知った。

 大好きな人が幸せであること。その場に自分が居合わせていること。おめでとうもありがとうもハグも、直接渡せること。どれも本当にうれしくて、幸せだと思った。祝う側の言うありがとうの意味は、きっとこういうことなのだろうと、ひと月越しに理解した。

 他人の悦びでお腹は満たせないし、誰かを救うこともきっと難しい。けれど大好きな人の悦びは私にとっても悦びで、そんな相手がいる私は間違いなく幸せ者だと思った。その子の幸せそうな笑顔を見るたび、その子が家族や友人、そしてパートナーの方に愛されていることを感じるたび、心がじんわりと温かくなって、涙が溢れた。

 幸せになってほしいと、心から思う。彼女のこれからの人生、きっとたくさん訪れるであろう朗報に何度だっておめでとうを言いたいし、グラスを交わし合いたい。自分で自分の道を選んでいける人だから、きっと私が背中を押す必要はないのだろうけれど、その代わり何度だって寄り添うし、ハグをする。拙い言葉の限りを尽くして、愛を伝えていく。

 結婚おめでとう。ずっと幸せな道が続いていきますように。

 この記事でかつて送り出した友人の、二度目の門出でした。立ち会わせてくれてありがとう。

輪を描き家族の枝は伸びてゆく 長い旅路に追い風よ吹け

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