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高層マンションに住みたい

夢がかなう瞬間を、目の当たりにした。たぶん、いちばん近くで。

彼女は大学でできた、初めての友人だった。出会うきっかけになった新歓コンパを開いていたサークルには2人とも入らず、研究分野も違ったから、学内で顔を合わせることはほとんどなかった。だけどお互い、大学で一番仲のいい友人同士だった。

大学3年の月曜。2限は、唯一彼女と一緒に受ける講義だった。数学が好きだった私に対して、根っからの文系体質な彼女は数学がほんとうに苦手らしく、毎週苦戦していた。さらに彼女は朝も弱かったので、しばしば寝坊し、途中でそっと私の隣に座ってきた。そんな彼女に数学を教え、代わりにコンビニチョコを献上してもらうのが週のはじめの楽しみだった。

そのまま別の講義で3限を終えたら、月曜の講義は終わり。再集合した彼女とお決まりのカフェへ向かう。雑談や近況報告をしながらランチプレートを食べたら、そこから夜までは勉強。勉強内容もてんでばらばらで、勉強中は完全に無言だったけれど、かえってそれが集中できたし、その時間が好きだった。

「高層マンションに住む」

将来のことなんて何も現実味を帯びていなかった私たちの、合言葉だった。

「あ~あっつい、なんでこんな暑い日にこんな勉強してるんだ」

「大丈夫、ここで頑張ったら高層マンションの夢に一歩近づく」

誰に強制されるでもなくしていた勉強会は、将来きっと自分を救うと信じて疑わなかった。ここで勉強を頑張って資格を取得して、いい会社に入って、お金をたくさん稼いで、高層マンションに住む。それが私たちの考える将来へのレールだった。

「私そのマンションで大きい犬飼って、高級赤ワイン開ける」

「そしたらそれに似合う高級チョコ持参するから2人で乾杯しよ」

「え、最高じゃんそれ。やる気出てきた」

そんな、半分冗談の夢物語を語り合いながら、でも半分はしっかり本気で、いつかくる未来を夢に見ていた。

・・・

あのとき取得した経歴を武器に、彼女は出版社への就職を決めた。絵を描くのが好きで、漫画家になりたいという夢を持ち、その第一歩として業界に飛び込んだのだ。

それから、新人として営業や書店回りの経験を積みつつ、彼女は着実に夢へと近づいていた。研修を半年早めての希望部署への配属。責任者という役職。学生時代から聡明で博識、幅広い分野で彼女が器用だったことを思い出しながら、近況を聞いた。強いてマイナスポイントを挙げるとすれば、壊滅的に朝が弱いことと数学が苦手なことくらいだが、それも社会での足枷にはなっていないようだった。

「表紙になった!」

夢がかなった彼女の報せは、ふいに舞い込んできた。販促用のポスターを担当していたが、本の売れ行きが良く、ポスター絵が表紙になったのだという。これで彼女は、名実ともにイラストレーターだ。感極まって、泣きそうになりながらLINEを送った。たぶん「!」を10個はつけた。

学生時代、なんやかんやでマンションのガスが止まってうちに来た時も、うたたねをする私の横で彼女はひたすら絵を描いていた。高層マンションの夢を語る傍ら、新作の漫画を読ませてくれたりもした。私をモデルにキャラクターを描いてくれたこともあった。

ひとつひとつが線を結び、彼女は夢を現実にした。その過程を、ずっと見守ってきた。

・・・

昨日、久々に近所のTSUTAYAに行ったところ、話題の本のコーナーに見たことのある表紙が並んでいるのを見つけた。彼女の絵だ。

本当に並んでる!と思って、また泣きそうになった。しかも話題の本。ネットで調べてみたら、「表紙買いした」と言っている人も何人かいて、彼女が世間で認められていることにうれしくなった。自慢の友達だ。

立派な高層マンションを下から見上げているような気持ちだった。わー、高いなーって。たぶん彼女はまだ最上階には到達していないのだろうし、何階が最上階なのかもわからない。きっとまだまだ上の階にのぼっていくのだろう、彼女は。

私は今、何階めあたりにいるんだろう。そもそも、目指す建物の階段をのぼれているのかも疑問だ。このままだと彼女が最上階で赤ワインを開けるとき、チョコレートを届けるのが間に合わないかもしれない。

だけど彼女の成功は、間違いなく私の自信になっている。彼女が必死に勉強する横で、私もいっしょに勉強してきたのだから。

拳を合わせるようにグラスを交わして、幾度も夢の話をした。互いに新しいジャンルに手を出し、拙い作品を生み出すのも見てきた。彼女が育っているのなら、きっと私も育っているのだろう。スピードに差はあれど。

次に彼女に会えたとき、できるだけ近い階層で同じ景色が見えるように、私も夢を現実にする努力をしよう。ただ夢を「見て」いるだけじゃだめだ。渇望して、がむしゃらに手を伸ばさないと。

いつかかなうかもしれない高層マンションでの乾杯を思い、彼女にまた会える日が一層楽しみになった夜だった。

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