令和元年予備試験憲法 答案

制限時間内に手書きしたものをテキストに直しました。

その際、誤字脱字等は修正しています。

出来はあまりよくありませんが、合格して行政訴訟などの実務を行なっていた者でもこのレベルだということを知ってもらうことに意義はあると思うので、参考までにアップします。

令和元年予備試験 憲法 答案 

1 はじめに
 乙中学の体育の授業において、Xがその信仰を理由に水泳の実技に参加できないにもかかわらず、代替措置を採らなかった乙中学校長の措置(以下「本件措置」という)は、Xの信仰の自由(憲法20条1項前段)を侵害するとして違憲ではないか問題となる。
2 外国人であるXに信仰の自由が保障されるか
 特定の宗教を信仰する自由である信仰の自由は精神的自由であり、前国家的自由としての側面もあるため、権利の性質上日本国民だけを対象としているとは解されない。
 よって、外国人であるXにも信仰の自由は保障される。
3 制約の有無
 乙中学校校長の本措置は次のとおりXの信仰の自由を制約する。
 Xが水泳授業の水泳実技に参加するためには、水着を着用する必要がある。水着の着用は、「肌を露出し、又は、体型がはっきりわかる服装をしてはならない」というB教の戒律に反する。
 そのため、乙中学校の校長が代替措置を認めなければ、Xは、戒律に反して水着を着用しない限り体育の授業に参加できず、成績上不利に扱われることになる。
 よって、本件措置は、Xが信仰を貫くことを理由に学校教育上不利に扱うものなので、Xの信仰の自由を制約していると評価できる。
4 本件措置による信仰の自由の制約は違憲となるか
(1)乙中学校校長の裁量
 中学校の授業を実施するにあたっては、それぞれの学校の方針や生徒の数、学校施設の状況、教員の特性、地域性などを踏まえた専門的な判断が要求されるため、公立中学校の校長には、授業の実施において一定の裁量がある。
 そのため、授業に参加出来ない者に代替措置を認めるか否かについても、公立中学校の校長に一定の裁量はある。
 しかし、その裁量は憲法で保障された人権を制約するような処分、措置までも許容するものではないため限界がある。
 特に信仰の自由が問題となっている場合は、その裁量の幅は狭くなる。なぜなら、信仰の自由は、自己の信じる世界観にかかわるものであり、人が生きていくための精神的な根幹となるものなので、人権の中でも特に重要であり、尊重される必要があるからである。
 そこで、本件措置が裁量を逸脱濫用して信仰の自由に反した違憲のものといえるかは、制約される自由の内容、制約の態様、制約された者の被る不利益の程度、制約の目的、制約の必要性、代替手段の有無を考慮した上、社会通念上妥当性を欠くといえるか否かによって判断する。
(2)具体的検討
ア 制約される自由の内容
 信仰の自由自体は4(1)で述べたような重要な権利であるが、それに加えて、「肌を露出し、又は、体型がはっきり分かるような服装をしてはならない」という戒律はB教における重要な戒律とされているので、その教義に関わる制約については、特に慎重にならなければならない。
 そして、乙中学校の生徒の4分の1のA国民であり、そのほとんどがB教徒であったのであるから、乙中学校校長はこの戒律の重要性を認識していたと推察されるし、認識していなかったならば、中学校の校長として必要とされる慎重さを欠いていたと評価できる。
イ 制約の態様と不利益の程度
 校長が代替措置を認めなかったことによって、Xは戒律に反して水着を着用しない限り、体育の成績で不利に扱われることになるという制約を受けている。中学生であるXには教育を受ける権利(26条1項)が認められる上、中学校への就学は学校教育法によって義務教育(26条2項)とされている。そのため、授業に参加できなければ、憲法上、無償で受けることができると保障されている最低限の教育すら受けられないという結果になり、制約は大きいと評価できる。
 また、多くの高校では、その入学試験の選考にあたって、中学校での成績も考慮している。実際にXは高校入試において体育の成績を原因とする低評価ために不合格となっている。
 このように、成績上不利に扱われることの不利益は、高校で学ぶ機会をも失わせるものなので、その不利益は大きい。
ウ 制約の目的
 代替措置を取らなかったという本件の制約の目的は、水泳の実技に参加している他のB教信者の生徒との間で不公平となることを防止することと、水泳授業の実施や成績評価に支障が生じるのを防ぐことにある。
 しかし、そもそも参加しているB教信者の生徒も、代替措置が認められれば教義に反する授業には参加しないと考えられるため、B教信者間での不公平は生じない。
 また、水泳実技は義務教育において生徒が体力をつけることを目的としているが、水泳授業を実施しなくても他のスポーツによって体力をつけることは可能である。そのため、水泳授業の実施を図ること自体に重要な意義はない。
 これに対しては海難事故の際に水泳の技術が役に立つから水泳授業の実施を図ることが重要であるとの反論も想定されるが、水着を着用しないB教の生徒が海水浴場などで海難事故に遭う可能性は極めて低いため、水泳授業の実施を図ること自体には重要な意義はない。また、船舶乗船中の事故であれば水着は着用していないため、水着を着用した状態での水泳技術はあまり意味を持たない。
 よって、かかる反論は妥当ではない。
このほか、真に信仰を有する者か否かの判断ができないことも代替措置を認めない理由として乙側が主張することが考えられるが、A国民のほとんどがB教徒であるため、判断は困難ではない。また、他の授業や服装については代替措置を認めているのだから、判断が困難という乙側の主張は妥当でない。
エ 必要性、代替手段の有無
 乙側は、代替措置を採れば、B教という特定の宗教を信仰する者に対して、宗教的意義を有する援助、助長の措置を行ったとして政教分離原則違反(20条3項)となる可能性があり、同原則違反にならないために、代替措置を採らないことに必要性があったと主張することが考えられる。
 しかし、体育の授業においては、信仰にかかわらず身体の不自由な生徒に対して代替措置を採ることもあるため、このような代替措置自体に宗教的意義があるとは認められない。
 また、水着を着用して肌を露出し、体型を晒すということ自体が女性の羞恥心を害するものであり、水着の着用を回避すべきという考え方は、信仰にかかわらず、現在では社会的に共有されているといえる。アイドルのオーディションやミスコンでの水着審査が現在ではほとんど行われていないのも、水着着用を回避すべきという考え方が社会に浸透しているからである。
 よって、水着の着用を回避する措置に宗教的意義はない。
 また、このように水着の着用自体は社会的に回避すべきこととされている以上、水着を着用しないための代替措置を採ること自体が、特定の宗教への援助、助長になると一般に受け止められることはないし、ほかの宗教への圧迫になることもない。
 よって、代替措置は政教分離原則違反にならないので、乙側の主張は認められないず、代替措置を採らないことの必要性は認められない。
 そして、前述したとおり、水泳の実技によらなくても生徒に体力をつけさせることは可能であるし、体型を晒さない特別な水着を着用することや生徒の承諾を得てジャージのまま短い距離を泳ぐなどの方法によっても水泳実技を行うことは十分可能であるため、代替措置も存在する。
 Xが行ったようなレポートの提出では水泳授業の代替手段としては不十分であるが、乙中学校は義務教育の実施主体として、可能な限り生徒が授業に参加するよう配慮する義務があるため、上で説明したような代替措置を検討してXに提案すべきであった。
オ まとめ
 以上、検討したように、Xの信仰の自由への制約は大きい上、不利益も大きいにもかかわらず、代替措置を採らなかったという乙中学校長の措置の目的は重要ではなく、また、必要性も認められない上、代替措置も可能であったと認められるので、本件措置は社会通念妥当なものとはいえない。
 よって、乙中学校長には裁量があるとしても裁量を逸脱濫用していると認められ、代替措置を採らなかった本件措置は、Xの信仰の自由を侵害するものとして違憲となる。
                                                                                                                       以 上


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