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よくある自己啓発本はよくあるのか

X「なあ」

Z「ん、どした?」

X「最近、ふと疑問に思ったことがあるんだけどさ、聞いてくれるか?」

Z「ほう、なんだい」

X「自己啓発本を読んでると『よくある巷の自己啓発本では○○と主張していますが』的な書き方がちょいちょい出てくるじゃん」

Z「あー、めっちゃある気がする。その前置きから『でも俺の主張は違うぞ』って感じで続くんでしょ」

X「そうそう、そうやって〈よくある自己啓発本〉をディスることで自分の本の独自性と優位性を示そうとしてる流れ」

Z「うんうん、そういう感じの構成の本あるある。でも、それがどうしたん?」

X「俺もこれまで全然違和感覚えてなかったんだけどさ。ふと思っちゃったわけよ。〈よくある自己啓発本〉って本当によくあるっけ、ってね」

Z「……えっ?」

X「〈よくある自己啓発本〉はやられ役としてによく出てくるわりに、そうした凡庸な主張をしている自己啓発本って案外思い当たらないなと」

Z「言われてみれば、〈よくある〉はずなのにそんな普通な本はあんまりないというか、むしろ〈よくある自己啓発本〉を批判してる側の自己啓発本ばかりある気がするな」

X「そうなんだよ。〈よくある自己啓発本〉を虚仮にするものは多いくせして、肝心の〈よくある自己啓発本〉の方がまるでいない気がするんだ」

Z「確かにそりゃ妙な話だな。〈よくある〉なら普通にそこら中に転がっといてもらわないと。それが全然いないとなるともはやただの幻じゃないか」

X「そう、まさに、〈よくある自己啓発本〉はそもそも幻なんじゃないかって俺は疑い始めてるんだ。そんなもの全然ないか、せいぜい僅かばかりあるぐらいでほとんど存在してないのに〈よくある悪い例〉として踏み台にされてるわけだ」

Z「でもなあ、俺自身、今お前から話を聞くまで疑問に思ってなかったわけだし、もし幻だとすれば、どうやって幻を〈よくある〉と信じてしまえるんだろう。やっぱり実際によくあるからこそ俺も含めてみんなが納得してるんじゃなかろうか」

X「いや、幻だとしても〈よくある〉と勘違いすることはあり得ると思う」

Z「ほう、それはどうやって?」

X「〈よくある〉と言う人が沢山いれば自分自身がたいしてその対象に遭遇していなくても『きっとよくあるのだろう』という気になるんじゃないかと」

Z「そういうものかね」

X「集団心理というやつよ。みんながみんな『あそこになんか見えるぞ』と遠くを指差していたら、自分もなんとなく何かがそこにあるような気がしてくる。自分自身がくっきりと実感していなくても周りの空気に流されるわけだ」

Z「あー、なるほど。確かにそういうのはあるかもしれない。つまり、『〈よくある自己啓発本〉はこんなのだ』という記述をあちこちで見かけていくうちに自分自身がそうした〈よくある自己啓発本〉を読んだことがなくても、〈よくある自己啓発本〉のステレオタイプ的なイメージが脳裏に焼きつくってことね」

X「まさしく、その通り。一旦世の中にそのステレオタイプ的なイメージが広がれば、〈よくある自己啓発本〉に出会うことなくそのイメージを誰もが自然と植え付けられることになる。最初に誰が言い出したのか、実際に現実の特定の書籍を対象として言われてたのかは分からない。でもことこうなると〈よくある自己啓発本〉がそもそも幻であったとしても成立する。全くないとは言わないまでも、ほとんどないなら〈よくある〉とは言えないわけだから、十分それは幻だろ?」

Z「見えてきたぞ。それが幻であろうとなかろうと、自己啓発本の著者たちにとって凡庸なことを言っている〈よくある自己啓発本〉の存在は都合がいい。だって、自分の書籍の中でまず叩いて『俺の主張は一味違うぜ』と勢いづけることができるから。それでどんどん〈よくある自己啓発本〉の記述が増えて、世の中で幻が強化されていくわけか」

X「そうなんだよ。でもよくよく冷静になってみると〈よくある〉はずなのに自分自身の経験として遭遇したことがあまりない。どうもおかしいぞって俺も最近になって思ったわけさ」

Z「それで幻なんじゃないかってなったんだな。なるほどなー」

X「実際、他にも同様の現象は起きてるんじゃないかとも思ってる。たとえば『日本人は同調圧力に弱い』とか『事なかれ主義だ』とか言って、その他大勢を批判する人いるでしょ」

Z「いるいる」

X「でも、これも、そうした批判をする言説を浴びに浴びたせいでみんなの中にそうしたイメージが植え付けられたという側面があるんじゃないかなと思うのよ。そのイメージが付いた色眼鏡で見たら実際に誰も彼もが『同調圧力に弱い』ように見えてくる。もちろん、日本人に本当にそういう性質がないと断言できるわけではないけれど、バイアスがかかることで、よりその程度を強く見たり、同調圧力に弱いシーンだけが目立って心に残ったりする可能性は十分にありえる」

Z「周りから先に植え付けられたイメージ通りに実際に周りを見てしまうんだね」

X「そうそう。他にも『アメリカ人は独立心が強い』とか『ドイツ人は勤勉だ』とか『人間は利己的だ』とかでも当てはまるかもしれない。そんなにもアメリカ人に会ったことがなくても、ドイツ人に会ったことがなくても、人類における多彩な人々に会ったことがなくても、みんないつの間にかそう思ってるでしょ」

Z「うわー、あるわー。やばい。これはマジで幻かもしれん。身に覚えがありすぎて反省するしかない」

X「いや、かく言う俺だってめっちゃやってるよ。まあ、これは人間の特性みたいなものでどうしてもイメージ先行で認識することは避けられないものかもしれんね。ただ、俺が今回自己啓発本でふと思い当たったみたいに、実際のとこどうなんだろうと時々思い直すのはバイアスを取り除くのにいいかもしれない。測定機械の正確性を保つために時々キャリブレーションするようなものさ」

Z「なるほどねー。俺もその辺意識してやってみるわ〜。……って、あれ?」

X「ん、どした?」

Z「早速、ちょっと疑問が湧いたんだけど」

X「なんだなんだ?」

Z「この話のきっかけになった『よくある巷の自己啓発本では○○と主張していますが』的な書き方って、聞いた時は確かに俺も『そういう書き方よくあるよなー』って思ったんだけど、本当によくあるっけ?」

X「え」

Z「ついそんな気がしただけで、よくよく考えてみると思い当たらない気がしてきた。本当に〈よくある自己啓発本〉ディスりってよくあるっけ?」

X「まさか、あれ、えっと。あるはずなんだけど。うーん。自信がなくなってきた。おかしいな。これすら幻……?」

Z「ああ、いったい何が真実なんだろう……」


THE END

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