見出し画像

「ボケて」で気づいたこと

最近、こっそり「ボケて」の投稿を始めました。

写真などの「お題」に対して思いついた「ボケ」を投稿し合って、面白いと思った「ボケ」にお互いに星を付け合う、要するに大喜利みたいなサイトですね。

単純に息抜きとして良さそうというのもあるんですけれど、「江草も面白いこと言いたい!」と修行のためにやり始めたところがあります。だって、日々読ませていただいてるネット上の皆さんがあまりにユーモアに溢れていて、すごく憧れるんですもの。江草の文章はどうしてもついつい固くなるというか、クスッと笑わせる感じがなくって、個人的にはコンプレックスなのです。

というわけで、ちょこちょこっと「ボケて」みてるのですけれど、単純にこれがまた楽しいのです。普段使わない脳の筋肉を使ってる感じで、頭の体操にももってこいですね、これ。

星が付くとやっぱり嬉しかったりもします。今のとこ最大6個までしかもらえてませんが、もっと欲しいなと欲が出てきてしまってます。承認欲求の沼っぽい話なのでハマり過ぎないように注意しないといけないですが。

で、自分が「ボケる」ようになると、「人気ボケ」がいかに秀逸かも実感します。出来上がった「ボケ」を見ると、あたかもそれが最初からそういうネタであったかのように感じられますが、もちろんそんなことはありません。まっさらな「お題」を前にして無から考える作業をしてみると、それがいかに難しいかが痛感されます。よくもまあそんな面白いことが思いつけるなと。

「人気ボケ」で数千個の星を集めてる人の過去の「ボケ」を見てみると、やはりセンスがあるのかどれも結構面白いんですよね。やはり、ユーモアの力というものはこれだけ差があるものかと、ついうなだれてしまうところですけれど、その一方でふと気づいたことがありました。

その人、それまでのボケ数が10000超えとかなんですね。万です。万。江草なんてまだ2桁、十単位でしかボケてないのに、桁が3個も違います。

「ボケて」ではボケ投稿の間に5分のインターバルを置かなきゃいけない時間制限もあるので(課金で短縮できるみたいですが)、適当に連打して叩き出してるわけでもないはずです。本当に、毎日毎日ひたすらこの人はボケ続けてきたんだなと圧倒される数字でした。

逆に、10000個もボケてるにしては、1000個単位で星がもらえるような「人気ボケ」は言うても10個かそこら程度で、バズる回数はこれだけやっていても意外と僅かであることも気付かされました。面白くないとかじゃないんですよ、ベテランだけあってやっぱり面白いボケは多い(微妙で星が全然ついてないボケももちろん少なくないのですが)。でも、それでもバズるものは数えるぐらいしかないのです。

こんな風に、全体の試行数とそれによる実際の評価の分布が分かるというのは、意外と貴重な気がするんですよね。

たとえばX(旧Twitter)だと「お昼ご飯にうどんナウ」みたいに別に「いいね」をもらいにいってないつぶやきも全然ありえますけれど、「ボケて」ではより純粋に「ウケを狙いに行く投稿」ばかりなはずですから、どれぐらい「ボケ」たらどれぐらい「星が付くのか」というのは、よりピュアにSNSでの投稿数と評価数の性質を表している可能性が高いでしょう。

で、全然主観的にざっと拝見しただけですけれど、なるほどやっぱりSNSのバズはベキ分布なのかなという印象です。数学的な話をちゃんと説明できる気がしないので、すごく雑に言うと、ほとんどが無風だけれども、ごく少数がめちゃくちゃバズるみたいな分布です。「ロングテール」とかいうキーワードでも知られる分布ですね。

10000個ボケても、数千個単位で星が付く「ボケ」はほんの一握り。そんなべき乗則の現実を目の当たりにした気がしたのでした。


さて、ここからどういう教訓を引き出せるでしょうか。

自己啓発チックに解釈すると、それぐらいコツコツと努力してる者にだけ大成功は訪れるのだ、となるかもしれません。成果が出なくても諦めずにやり続けろと。

あるいは、ほれ見ろ、これと同様に役者さんとか作家さんとかアーティストみたいなクリエイター稼業で、それで大成功するのは一握りなんだから、そんな無謀な夢を見るのは諦めろという堅実目線的な主張も言えるかもしれません。

確かにこのどちらも正論だと思います。

でもね、江草がどうしても引っかかるのは、この人の「バズってないボケ」も十分に面白かったというところです。この人がコツコツとボケ続けてきたからか、ほんとに平均して面白い。でも、それでも報われるボケは数少ない。江草はたまたま興味本位で過去ボケを見ただけで、おそらくほとんどのボケは大して見られることもなく沈んでいってるはずです。なんか、この状況はもったいないなと感じるんですよね。

少なくとも、一般通念である「行為はその価値に比例して報酬がついている」というのはやっぱり間違いなのだろうと思うのですよ。確かに多少の差はありつつも、どれもこれも存分に面白いボケで、数千個の星と数百個、数十個の星のボケの違いが、その桁数分相応にクオリティの違いがあるようには感じられなかったのです。クオリティの違い以上に、運の要素が報酬を大きく左右しています。まさに「運も実力のうち」と言わんばかりに。

きっと、現実もそうなんだと思います。多くの実力あるクリエイターさんたちが運に恵まれずに、日の目を見ることなく沈んでいってしまっている。これはやっぱり悲しいなと感じてしまうのです。

堅実目線の人からすると、諦めてまともな職に就けと言うところなのでしょうけれど、でも、江草が今回隠されたボケで笑わせていただいたように、そういう隠れた実力者の作品に心を動かされてる人もいるはずなんですよ。ただその人数が少なくて十分な報酬がないだけで。堅実目線で行ってしまうと、そうした感動もなかったことにされてしまう。この世から消す圧力になってしまう。これはやっぱりもったいないし寂しいし悲しいことに思うんですよね。

だから、こういう隠れた実力者たちをどうにか支えられないかなと思うんですよね。

別に成功してるクリエイターさんがズルいとかそういう話ではないのですけれど、それでもやっぱり運の成分で大成功した方は、その莫大な成功報酬の全てを自分のものにするのではなく、その分の幾らかを陰の存在に還元するのが本来的にはバランスがいいんじゃないかとは思ってしまいます。べき分布の仕様だと再配分しないとどうしても歪になってしまうので、申し訳ないですけれど。

もっと言うと、陰で頑張ってる人たちはクリエイターに限らず世の中に無数にいるはずで、そういう人たちにその報われない努力の対価を還元するには、もうベーシックインカムみたいに全員に一律で報酬を配ってしまうのが一番手っ取り早いように思います。

考えてみれば、これだけ江草を面白がらせてくれたベテラン「ボケて」職人の方も、言うて「ボケて」で星がついても1円にもならないわけですから、完全に無償で人々を楽しませてくれてると言えます。彼(or彼女)が石油王とか財閥の子とかで暇つぶしに「ボケて」るだけの可能性もありますけれど、もしかすると売れない芸人の方とかその他の事情で生活に困られてる方かもしれない。

だから、なんかね、もうみんな頑張ってるんだから、みんな一律に報われてほしいなと思っちゃうんですよね。多少なりとも、べき分布の強烈すぎる傾斜を柔らかい形にできた方がいいんじゃないかって。あの分布はやっぱり極端すぎます。

ベーシックインカムが出ても、もともと無償でやってましたからコツコツボケてる人はコツコツボケ続けることをやめることはないでしょうし、クリエイター気質の人が無理して堅実な仕事に就かなきゃいけない圧力も弱まります。

現実にはそこまでうまくいくことはないかもしれませんけど(やっぱりベーシックインカムにも課題はいっぱいあります)、社会からの「みんなを応援してるよ」というメッセージにはなると思うんですよね。

なんとかならないかなーと「ボケて」を見ながら考え込んでしまいました。


……と、「ボケて」でユーモアセンスを鍛えるはずが、いつもの如くなぜか考察モードに入ってしまった江草です。おかしい、こんなはずではなかったのに。これ自体がもはや盛大な「ボケ」のような気さえしてきます。

もうしばらく江草には「ボケて」修行が必要そうです。頑張ります。(恥ずかしいからアカウントとかはもちろん教えませんよ)

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。