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本当に医療界は善くあろうとしてるのか

昨日書いた記事。

その後、自分のObsidianにダイブしていたら、過去に全く同じような内容をツイートしていたことが発覚しました。

人間、意外と変わらないものですね。

自分でも忘れてた過去の自分のにヒョコッと遭遇できるのがObsidianみたいなPKMツールを使うことの面白さです。


さて、せっかくなので、このツイートスレッドの続きも貼っておきます。

この辺も今も全く同じ気持ちでありまして、同じテーマの繰り返しでお茶を濁しはじめている「医療倫理」の講習の問題だけでなく、なんとなく漂ってる「とりあえず倫理審査通せばいいんでしょ」的な雰囲気もどうかと思ってるんですよね。

研究にあたって倫理審査を通すことは確かに大事なことですが、それはあくまで「最低限の手続き的な基準」であって、それをもってその研究が倫理的であることを保証するものではありません。

法律を守っているだけ、もしくは実刑を受けたことがないだけ、それだけで善い人間であると保証されないのと同じです。

改ざん、捏造、盗用は言わずもがなアウトですが、ギフトオーサーシップなどの問題慣行も依然として根強いものがありますし、倫理審査を通した上でなお倫理的であろうとする意志が研究者には本来求められることになります。


もっとも、厄介なことに「完全に倫理的な善い状態」というのは存在しません。「これで自分は完璧に無罪放免だ」という地点に達することは未来永劫誰もできないでしょう。

どれだけ科学研究が進んでもこの宇宙には未知のことが永遠に残り続けるように、「善くあろうとすること」もまた永遠の営みなのです。

「完全な倫理的な善い状態であること」を人に求めるのは無理であるがゆえに、「倫理的であろう善くあろうとしているか」という態度こそが重要になるわけです。


翻って、偏ったテーマばかりを繰り返す「医療倫理」講習とか、先に挙げたツイートで触れていた「研究の公正さを意識してる医師が少ない」という調査結果とか、固着したメンバーが居る倫理委員会とか、そういったことは「本当に医療界は善くあろうとしてるのか」と疑問を持たれても仕方ないのではないでしょうか。

医療界の一員として、医療界にはもっと善くあってほしいので、微力ながら一応指摘しておきます。

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