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過去記事ピックアップ企画(2022年8月編)

ここんとこ筆がノリに乗って続けて長文を書きすぎてる気がするので、少しサボってひと休みして、時々登場する過去記事ピックアップ企画を。

ありがたいことに最近江草をフォローしてくださってる方々が増えております。しかし、なんだかんだ江草の記事のストックは大量なので、さすがに全ての過去記事を読まれる方は少なかろうと思います。なので、江草自身の手でこうして昔の記事を厳選してご紹介するのは、互いにWIN-WINとなる良い機会かなと。


というわけで、今回は2022年8月にタイプスリーップ!

同月の記事の中から、江草的に思い出深い記事を3本ピックアップしてみました。


営利国家の中の非営利組織の中の営利個人

ひとつ目はこちら。

医療界をはじめ「組織が非営利であること」を必須とし、そして誇りとしている業界はいくらかありますが、実のところ、その業界外の社会全体が営利文化であったり、中に生きる個々人が営利的な振る舞いをするならば、組織だけがいくら制度上で非営利であってもあんまり意味がないのでは、という身も蓋もない指摘をした記事です。

最近では逆に、本来営利組織の権化とも言うべき株式会社において「社会のためになることをせよ」と(一見)非営利的な振る舞いが積極的に求められるようになり、一方で非営利業界の代表格であった医療界において「生産性を上げよ」「無駄なコストを削減せよ」などと営利的な運営をする圧力がステークホルダー(株主でなく政府や国民)から強くかかっているという、なんとも皮肉な状況に突入してきていますので、今読んでもなかなか含蓄深い記事と思います。

株式会社の非営利的(利他的)振る舞いの推奨についてはこちらの書籍『GROW THE PIE』が面白かったです。


「豊かな社会」を想像してみると

お次はこちら。

経済成長や生産性向上の目的として「社会が豊かになること」がイメージされることは多いです。GDPも「豊かさの指標である」と普通にサラッと紹介されますからね。

ただ、みんながイメージしてる「豊かな社会」ってそもそもちゃんと「豊かな社会」と言える内容になってるでしょうか。そんな「そもそも論」的問いを投げかけた記事です。

実は、みんなが豊かになればなるほど、他人を使役することは難しくなるので、「他人のサービスを贅沢に受けて優雅に過ごす」的なイメージは「みんなが豊かな社会」としては妥当ではないんですね。

このことは、ジョセフ・ヒースの『資本主義が嫌いな人のための経済学』でも指摘されてます。

 貧困国の不平等がとてもひどく見える理由の一つは、個人宅で雇われる使用人の数に関係している。そこそこ中流の家でも家事を使用人に任せることが多い。誰もがメイド、乳母、コックを雇うことは言うまでもない(このような仕事をさせる雇い人が一人か二人か三人かで社会階級がうかがえる)。運転手、さまざまな家庭教師、そしてもちろん警備員も雇う家庭が少なくない。私はまだだいぶ若かったころに、メキシコシティで数週間働いたことがある。日曜の午後に経営者の家に招かれ、そこで仰天した。周りでうろつきながら私がコロナビールを飲み終えるのを待って、お代わりをとりにいくことが仕事のような使用人がいたからだ。プールサイドでそんな状態ではくつろげないと感じたのは私だけらしかった。
 なかなか言うことを聞かない家具の組み立てや電球の交換をしようとするとき、このことにふと思いをはせる。「ああ、世界で指折りの豊かな国に住んでいるんだな」と独り言をつぶやく。「なんで自分で家具を組み立てたり電気をいじったりしなきゃいけないんだ?」答えはもちろん、まさしく、、、、世界で指折りの豊かな国に住んでいるからこそ、自分で電気いじりをしないといけないのだ。労働力の生産性が高まって、たいていの人は他人の照明器具の取り付けより時間を有効に使える仕事をしているからだ。それが因果か、そうしたほかの生産的な職業から労働者をおびき寄せるには金がかかる。電気工を呼んで電灯を取り付けさせる料金は、たいてい電灯そのものより高くなる。

『資本主義が嫌いな人のための経済学』 pp. 266-267

「みんなが豊かな社会」と聞いて自分の身の回りのことをせずに済む前者を想像してしまうなら、それは「自分(たち)だけが豊かな社会」であって「みんなが豊かな社会」ではないのです。

にもかかわらず「俺様が自分であれこれ雑用をさせられるのは社会の豊かさが足りないからだ」というロジックに陥ってる人が多いことが世の中の経済系の議論が迷走する一因となってると思いますので、ぜひこのパラドックスを共有できたらなあと思って書いた記事でした。


「リテラシーを身につけよう」と「専門家に聞きましょう」は混ぜるな危険

最後はこちら。

珍しく「である調」で書いてる記事。試しにちょっとやってみてたんですよね。結局すぐに「ですます調」に戻っちゃいましたが。(完全に余談ですが、「である調」と「ですます調」は一体何が異なるのかについて迫った書籍『日本語からの哲学』とても面白かったので、ぜひ。感想文も書いてます)

脱線脱線。ええと、本来のピックアップは「リテラシー」の記事の方ですね。これ当時いくつか連続記事で書いてきてるものの最後の1つだったのですが、単体で読んでも大丈夫な内容になってるかと思います。

医療界に身を置いてると「正しい医学知識を一般の方々にも伝えなきゃ」という運動を見聞きすることが多いんです。これ自体は全然問題ないというかむしろ素晴らしい心がけだなと思うんですが(江草自身、科学コミュニケーションについては関心が高いのです)、その中でしばしば矛盾するメッセージが同時に発せられる事態が見受けられて気になってしまったんですね。

それが「リテラシーを身につけよう」というメッセージと「専門家に聞きましょう」というメッセージです。

それぞれは一見するともっともなメッセージのように思われるかもしれませんが、これらが同時に発せられるのは論理的に考えるとどうも変な話になってしまうんですね。なんなら一般大衆を馬鹿にしてるとも思われかねない危険性をはらんでます。

なので、この科学コミュニケーションにおける矛盾メッセージ問題について解説したのがこの記事になります。

大きく拡散されたりはしなかったのですが、当時なんと投げ銭してオススメ記事にしてくださった読者の方がいらっしゃったという(江草も長いことnoter生活してきましたが投げ銭オススメされるのってかなり稀なんです)隠れた高評価記事と言えるものになっています。


おしまい

というわけで、2022年8月ピックアップ記事、いかがだったでしょうか。

手抜きひと休みしようと言ったわりには、結構それぞれにしっかり解説を書いてしまった気もしないではないですが、やっぱり結局のところ江草にとって書くのは楽しすぎる作業なので、ついついアレコレ書いちゃうんですよね。我ながら、なんたる執筆ジャンキー。

また、時折こうやって過去記事を紹介する企画やりますので、今後ともよろしくお願いしまーす。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。