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3月11日(金) フィリピン滞在55日目

日数を数えるのも億劫になってきた55日目。きっと間違ってる55日目。そして3.11。「もう5年も経ったのか」という反応がネット上では多く見受けられるけれども、僕は「まだ5年か」という感慨を抱く。忘れたわけではないけれども、遠い昔の出来事のように感じられる。

ここはフィリピン、さてどこで6度目のそのときを迎えようかと考えたとき、イントラムロスにしようと思った。

イントラムロスは、スペイン語で「壁に囲まれた街」の意。16世紀にスペインがフィリピン統治の本拠地として建設した城塞都市で、マニラの原型ともいわれている。1945年2月3日から3月3日まで行われた連合軍と日本軍の戦いで破壊され、ひと月のうちにマニラ全体で10万人のフィリピンの人、1万2千人の日本の人、1千人のアメリカの人が亡くなったとのこと。

ジプニーでCubao(7php=18円くらい)、そこから電車Line2でRecto駅(20php=50円くらい)からLine1に乗り継いでCentral駅(15php=38円くらい)まで、そこからはふらふら歩く。学生が多いイントラムロス。戦後、荒廃した土地はイメルダ・マルコス指導のもと、多くの学校が建設された。現在もかつての城壁は残っており、外の喧騒とは一線を画す「時間の淀み」のようなものを感じられる。

観光地でもあるイントラムロス。日本人が歩いていれば声を掛けられる。それは戦中のことを、というわけではなくて、ペティキャブといわれるトライシクルの自転車版の運ちゃんたちに「イントラムロス、意外と広いぞ、historical spaceだぞ、案内するぞ、安いぞ」と声かけられる。彼らと話をすると面白かったりする(結局乗らないけれども)。ちなみに乗らない説明をちゃんとすると意外と理解を示してくれる。城壁の外とは違う。良い意味で抑制が効いているように思える。

驚いたのは今日が3.11だということを彼らの数人が認識していたこと。結局6人くらいの運ちゃんに声かけられて、ちょっと話をするうちに2人は「今日は日本のセレモニーdayだろう?」と切り出してきて。「うん、そうよ。今日はpray day、日本人にとって」「何人死んだ?」「見つかってない人含めると2万人くらい」「そうか」といった会話が決して金銭的に豊かではないだろう運ちゃんたちとできる。これは天皇が来比したときの「ふーん」という彼らの無関心とはだいぶ異なる反応だと思ったし、71年前のこの時期に日本人がフィリピンの人を大量にレイプし、殺し、破壊し尽くしたこの土地で死にまつわる話をわずかながらも共有できたこと、ちょっとこみ上げるものがあった。

帰りも同じく、電車とジプニーを乗り継いで帰路につく。だいぶジプニーにも慣れてきた。夕方過ぎの帰宅ラッシュということもあって、ジプニーの外壁に掴まって立ち乗りの人もいるけれども、あれは運転手からすると黙認という感じみたい。中に入り座れるまで彼ら乗客もお金払わないし、運転手もなにもいわない。実際、手を上げてジプニー止めようとしても中が満員だとそのように掴まり乗りできるスペースがあったとしても止まってくれない。

そして、これを書くために色々ネットで調べたりすると「イントラムロス危ないからあんまり行かないほうがいい、行っても歩いたらダメ」と書いてある。調べると「ジプニーは危ないからあんまり乗らないほうがいい」と。危なくないよ。いや、危ないけれども、どう身を振るかの問題ですよ、きっと。観光客である自分を捨てて油断しなければ、大丈夫だと思う、たぶん。これから僕も痛い目みるのかもしれないけれども。

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