武田力

演出家、民俗芸能アーカイバー。九州大学非常勤講師。観客個人の経験や見識を引き出し、共に…

武田力

演出家、民俗芸能アーカイバー。九州大学非常勤講師。観客個人の経験や見識を引き出し、共にこの社会を思索する作品を展開。また、滋賀や福岡の土地に古くから継がれる踊りや唄の復活や継承を担っている。横浜市芸術文化振興財団クリエイティブ・チルドレン・フェロー。国際交流基金アジアフェロー。

最近の記事

我々の敵とはなにか〜神か、他者か、ウイルスか

 「ダイダラボッチをめぐる物語である『もののけ姫』は、大正大学教授の高橋氏のいう消費の構造下にあるのではなく、現代における民話の語りなおしなのではないか?」という問いで前回の記事は締めた。 今回は、 1. 高橋氏の指摘する『もののけ姫』における「消費」とは、なにを指すのか? 2. それを踏まえて、なぜ『もののけ姫』が現代における民話の語りなおしに当たるのか? 3. 自然科学がこれほどに進展した現代において、なぜ民話は必要なのか? この3点について考えていく。それは結果

    • 正確な民話とはなにか?

      前回の記事で触れたように、ワークショップ初日は塩田平民話研究所所長の稲垣勇一氏を訪ねた。そこでは『デイダラボッチと後家さん』と『小泉小太郎』の2編の民話を語り聴いたが、その物語に登場する地名は上田市内にいまも存在する土地であり、聴き手の内包するイメージを誘い出す稲垣氏の手練の語りもあって、現代にも通じるリアリティを伴って展開していった。『デイダラボッチと後家さん』では、そのタイトルのとおり、デイダラボッチと夫と死別した未亡人/後家さんが登場する。夫亡き後の生活を立てるために、

      • 「正義のインフレーション」の時代に、民話の多様性を考える

         人がひと所に集まれば、自ずと育まれていくのが社会であるが、それは不変ではなく、集った人々によって意識的にも無意識的にも変化していく。そんな社会を生活の視点で眺めれば、自然環境の厳しいアジア、とりわけ山をひとつ越えれば生態系も異なるという日本の場合、地震に津波、火山の噴火、台風、豪雪など、これら「他者」との共存の上に成り立ってきた。小さな島国に住まう我々は、この強靭な「他者」との関わりに惑い、また習いながらこれまでを生きてきた。人と人とが集うことで構成される社会は、これから産

        • 実はまた、マニラに居たりする。

          ご無沙汰です。いよいよ作品をつくろうという段にあります、マニラに。なんだかんだでもう20日と少しいますが、しかしボンヤリしています、前回もそうだったけれども。受け入れてくれるスラムがなかなか見つからない! ああ、これ12月も来ないといけないパターンだ。12月は日本でじっくり寒さを体感しようと思っていたのに。。マニラのなにがキツイって気候的寒さがひとかけらもないのと(人工的寒さは室内に溢れている)、イミグレーションの腹立たしさと、犬に噛まれることですね。 そもそも、なにをやっ

        我々の敵とはなにか〜神か、他者か、ウイルスか

          5月16日(月曜)インドネシア滞在10日目

          ジャカルタに行っていました。visaの再延長のため。色々と考えさせられる10日間でした。それはアジアにおける日本とジャカルタに住まう彼らとの歴史的背景、さらにその「揺り戻し」について。やはり思想は繰り返す、形を変えながら。人間はそう簡単に進歩できないということを学びました。 ちょっと散文的にメモしておこうと思います。読んでもつまらないです。もちろん、あなた次第です。 インドネシアでの日々、みんなとても良くしてくれた。「おもてなし」とはこのことを言うのかと思った。渋ハウスみ

          5月16日(月曜)インドネシア滞在10日目

          コラムvol.2 絶対的中心に頼らない/頼れない、フィリピンの多面的空間性

          どうでも良い話を、なんだかすごい話にするのは難しい。「なんだかすごい」というのはいろんな意味に取れるが、ここでは「可能性」の意味合い。フィリピンで生活しはじめて3ヶ月が過ぎた。場のつくりかたとその寛容度、個の自立とその所以でもある強い政治不信、にもかかわらず強い集団性。カトリック信者が8割以上を占め、中絶、離婚はもとより、3年前まで避妊も認められていなかったこの国。と同時に「あの国」として日本を見つめ直す良い機会ともなっている。それは同時代的な横軸だけでなく歴史的垂直軸を含め

          コラムvol.2 絶対的中心に頼らない/頼れない、フィリピンの多面的空間性

          4月21日(木) フィリピン滞在95日目

          あと、このFileは共有したい。そしたらきっとフィリピンと日本とで物理的な距離があっても今後楽しめるはず(ぼくが感けない限り、たぶんね!)。残り7つほどTakoyaki Resarchの記録はあったけれど、タコの代わりにイカとか、タコの代わりにクロコダイルとか、出汁が入っていないただの水で、とか。それらは内容物のお話でした。 +++ Files of Takoyaki No.6(2016.4.17) at Clamshell Parking Lot, General Lun

          4月21日(木) フィリピン滞在95日目

          4月21日(木) フィリピン滞在96日目

          フィリピンに来て3ヶ月が経ちました。また犬に噛まれて(実は以前にも違うアジアの国で噛まれてる)、今回は多少大事になりました。安心してください、生きてますよ。明後日からやっと作品づくりに掛かります。助っ人登場です。 Takoyakiについても引き続き調べていましたが、感けて全然上げていなかった。でもこれ実は作品にとって大事なので、明日に渡っていくつかを順次上げていきます。よかったらお付き合いくださいませ、Takoyakiの話。 +++ Files of Takoyaki N

          4月21日(木) フィリピン滞在96日目

          4月16日(土) フィリピン滞在90日目

          地震、ひどいみたいですね。一回帰ろうかな。実はぼく、熊本出身なんです。実家は新町という熊本城下なのですが、叔母はじめ従兄弟などは益城町に住んでいて、最初の地震の中心地ですね。連絡は取れていて全員無事とのことですが(昨夜の段階では)、彼らの家は壁と屋根が落ちたということなので半壊か、でも屋根落ちたならこれは全壊になるのか。いま親族が誰も住んでいない新町の実家はどうなっているのだろう。 3.11のときもそうだったけれども、ぼく地震のときにはたいがい遠くにいるのですよね。あのとき

          4月16日(土) フィリピン滞在90日目

          3月27日(日) フィリピン滞在71日目

          リアルが充実し過ぎて更新滞りました。日本のみなさま、こんにちは。2016年の春という季節、いかがお過ごしでしょうか? こちらは相変わらず暑いです。「実際、今日何℃あったんだろう?」と調べたら36℃でした。轢かれたネズミも干からびる暑さです。 そんな暑さのなか、最近はNavotasという海辺の街に通っています。一緒に住んでいるJKやAlexからも「あそこは危ない」と注意を促される所謂スラムですが、現状はだいじょうぶ。たしかに僕からみてもスラムだけれども「スラム=危ない」という

          3月27日(日) フィリピン滞在71日目

          3月14日(月) フィリピン滞在58日目

          髪切った。 こうなった(100php=だいたい250円)。 この髪切るときのエプロン、彼らはどこで手に入れたんだろう?

          3月14日(月) フィリピン滞在58日目

          3月13日(日) フィリピン滞在57日目

          Film makerであるJohn Torresの家へ遊びにいく。彼と出会った夜もExcitedだったから書かなきゃと思いつつ、書いてない。「こんな〈場〉のつくり方もあるのか、そもそも観客対話を重視したこの場設計は古代ギリシャ演劇を参照しているのか?」とも推察可能な映像上映会が初対面だった(または素材が間に合わず、上映が2時間押して、その間知らない観客同士がビールを飲み合い、喋り続けていただけとも言える)。そして深夜1時過ぎ「相当酔ってるから前向いて運転するね。呂律回ってなく

          3月13日(日) フィリピン滞在57日目

          3月11日(金) フィリピン滞在55日目

          日数を数えるのも億劫になってきた55日目。きっと間違ってる55日目。そして3.11。「もう5年も経ったのか」という反応がネット上では多く見受けられるけれども、僕は「まだ5年か」という感慨を抱く。忘れたわけではないけれども、遠い昔の出来事のように感じられる。 ここはフィリピン、さてどこで6度目のそのときを迎えようかと考えたとき、イントラムロスにしようと思った。 イントラムロスは、スペイン語で「壁に囲まれた街」の意。16世紀にスペインがフィリピン統治の本拠地として建設した城塞

          3月11日(金) フィリピン滞在55日目

          3月6日(日) フィリピン滞在51日目

          こんばんは。いまは2016年3月6日。こちらの時間で深夜0時をまわったところです。ちょうどメールを交わして「もう寝ようかな」と思ったところ。床にこの便箋が落ちていたのを良い機会と、筆を進めてみます。 もうすぐこちらに来て2ヶ月になります。だいぶしんどい時期に入ってきているなぁ、というのが率直な感想です。やっぱり日本人は日本人でしかありえないというのか。どう自身の生活を肯定していくのか、「役割」のない中でこの土地を日常として生きる、ということ自体がひとつの修行のようでもありま

          3月6日(日) フィリピン滞在51日目

          2月24日(水) フィリピン滞在40日目

          こちらに来てから何匹のゴキブリを殺しただろう。夜になると街中を這いずり回る大量の彼らはどうしようもないし、諦めもつく。彼らの街だ、好きにしたら良い。しかしわたしとてわたしの空間は必要だ。わたしと部屋で一夜を過ごそうとするのは勘弁してほしい。特に寝ている間にうなじを撫でていくのはもう止めてほしい。何度目でしょう? 自己顕示欲の強い鶏が鳴き出す深夜にわざわざと起き上がってあなたを殺すわたしの身にもなってほしい。 部屋に用意された片足だけのサンダル。それを用いてさまざまにわたしは

          2月24日(水) フィリピン滞在40日目

          コラムvol.1 「わたしたちにならなかった、わたし」たちが住まう国

          演出家として2014年『わたしたちになれなかった、わたしへ』という観客参加型の演劇をつくった。観客ひとりひとりが「わたし」という出演者となり匿名が担保された糸電話で会話を交わすことで、世間において規定され暗に強制されてもいる「わたしたち」を見つめ直す。その目指されるべき「わたしたち」に「わたし」が寄り添い生きるのではなく、村を新たに開くように「わたし」から「わたしたち」を立ち上げる。そのとき、どのような「わたしたち=共同体」を見るのか。いわば過度にシステム化された現代に対する

          コラムvol.1 「わたしたちにならなかった、わたし」たちが住まう国