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モーターショーへはもう行かない オートバイ乗りのアンチテーゼ

「モビリティ」

モビリティとはつまりそれは「手段」であるということか
「モーターショー」は死語になり「モビリティショー」になった
その会場はかつての自動車展示会とさして変わらぬように見えるが
モビリティと掲げることでスタートアップ企業の参加を容易なものとしたため
500近い企業の参加があったようだ
それは20世紀末ごろから会場に漂い始めた腐臭を一掃し
ついに新しい風を吹かせた、かに見える

モビリティ業界に属していない我が身としては
一般消費者目線でしかこのショーを見られないが
なんだかとても奇異なものに映ったというのが正直な感想だ
何をひねくれているのだ、と感じるだろうが
先入観を持たずに客観的に見てもらいたい
業界関係者の頭の中がただ漏れ出ただけの消費者置き去りの展示会だった

ヘリテイジと薄気味の悪い言葉で武装するリバイバル車両たち
ECUに頼ったエンジンもどき
ハイブリットシステムのオートバイ
電動モーターのトライアルバイク
オートバイの未来ではなく電子機器の展示会だ

ヤマハ発動機の「モトロイド」
あれはいったい何なのだろう
MOTOGPそっちのけで
どれだけの費用をつぎ込んであんなものを作り
それがどこに向かっているのか想像もつかない
低速で倒れない、と説明されているのを見たけど
何なのだろう
そんなニーズが本当にあるのか
そんなもの2輪で作る必要があるのか
参加している以上MOTOGPで勝てるマシンを作る方が先じゃないのか

ホンダが以前「アシモ」というヒト型ロボットの開発をしていたが
あれはいずれホンダがラインの従業員をこのアシモに置き換え
365日24時間クルマを生産したいのだろうとボクは想像していた
一台アシモを製造するのにたとえ500万円かかっても
1年使えれば人間の労働者にかかるコストよりはるかに安い
(そもそも経営者どもが労働力をコスト扱いすることに腹が立つけどね)
アシモは文句ひとつ言わずに壊れるまで働いてくれる
公休も有休も育休もいらない
年金も雇用も労災も何の保険もいらない
月給、賞与もいらなければ昇給もベースアップもいらない
壊れたら廃棄費用が掛かるだけで退職金はいらない
たとえすべてを置き換えられなくても3割置換すれば大幅な効率化が図れる
もちろんこれはボクの妄想だがね

けれどモトロイドの目的は何だ?
2輪車の自動運転?
それともアニメに出てくるみたいな擬人化バイク?

以前開発していた「モトボット」はヤマハ自ら
「車両を操作・運転するひと側の情報の可視化、およびそれに対する
車両の挙動の関係性を解明し、より感動を与えられる車両開発に資する」と
このプロジェクトを定義していた
モトボットはバレンティーノに憧れ
その走りをものにするため走っていた
そうなんだよ
勝手に走るオートバイなんていらねーんだよ
そんなもんが勝手に走り回って感動するか
こっちは原始人じゃあねーんだよ

エンジンの時代は本当に終わっていいのか
しかもすでに趣味の乗り物でしかないオートバイまで
モビリティと位置付けてよいのか

大井川鉄道を知っているか
連日、SL(蒸気機関車)を見たくてSLに乗ってみたくて
大勢の人たちが全国から訪れる
スティーブンソンがロケット号を走らせた1829年から
国鉄が動力近代化計画によりSLを全廃するまで約150年
都市部で煙を吐いたり、運行が非効率的だったり
SLを鉄道業務で使い続ける意味はなかっただろうから
鉄道の世界からSLが消えていくことは宿命だった
つまり今の世の中に蒸気機関車をリアルに見たり体験したりした人は
ほぼいないということだ
だが不思議なことに蒸気機関車は今の人たちにも間違いなく響く「機械」だ
そして実物を見れば全員がさらにとりこにすらなる

モクモクと煙を吐き出し
シューシュー蒸気を上げる
ダッダッダッとシリンダーがリズムをとり
大人の背丈ほどもある動輪が力強く回転する
そしてホームに侵入してきたSLが上げる熱気に思わず歓声が上がる
それはまるで生き物のようでひとの心に容易く取り付く魔力を感じる

内燃機関にはエネルギーのロスが多いという欠点がある
運転中にパワーだけでなく音や熱を外にまき散らしてしまう
出力が高まれば高まるほどそれは大きくなるが
でもそれこそがエモーショナルな魅力になっている
飛行機の離陸があんなにも魅力的なのは
飛び立つことはもちろんだがジェットの発するあの爆音にある
たんなる移動の手段ではなく
まさに感動する機械なのだ

だからオートバイを好きだというなら
オートバイをモビリティ(移動手段)として定義してはいけない

なぜオートバイに乗りたかった?
仲間とつるんでいたいから
うまいもんを喰いに行きたいから
山奥の温泉につかって癒やされたいから
ちがうだろ?
オートバイに乗る理由は何でもいい、なんて詭弁だ
みんな最初はただ「オートバイ」に乗ってみたかっただけのはずなんだ
危なっかしくて
うるさくて
チョロチョロ邪魔くさくて
けれど、なんだかカッコいい
そんなオートバイに乗ってみたかったのさ
じゃないか?
そして実際にそいつに跨って
スロットルを捻った時の感覚を忘れたのかい?
ギャィーーーンと吠えたエンジンの叫びは
まさに魂の叫びだった
そしてその瞬間に確信したはずだ
こいつ、生きてやがる

でも内燃機関の時代は終わったのだろう
あのモビリティショーを見れば誰だってそう確信する
だからもうモーターショーにもモーターサイクルショーにもボクは行かない
メカニカルな精密さがなくなった工業製品に興味が持てない
生き残る道を作り出し内燃機関を残す努力をしないメーカーに興味が持てない
電気でも原子力でも何でもいい
でもエンジンでもいい
違いますか?

そうして今日もボクは空冷のボクサーツインで走っている
見ている空は本当に青いのだろうか

ブログ「ソロツーリストの旅ログ」より加筆修正
ブログもぜひ
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