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マルタ共和国

マルタ共和国はどんな歴史がありますか?

マルタ共和国(Republic of Malta)は、地中海中央部に位置する島国で、長い歴史を持っています。紀元前からの歴史があり、多様な文化が交錯しています。

  • 先史時代: マルタは紀元前5000年頃から人が居住していたことが確認されており、ユニークなメガリス建造物がこれを物語っています。これらの建造物は、世界で最も古い自立型構造物の一部とされています。

  • 古代: フェニキア人やカルタゴ人が紀元前1000年頃からマルタを支配し、その後ローマ帝国の一部となりました。マルタはローマ時代に繁栄し、多くの遺跡が今も残っています。

  • 中世: 870年にイスラム教徒が島を征服し、その後、ノルマン人によってキリスト教が再び導入されました。以降、マルタはシチリア王国の一部となり、その後数世紀にわたって様々な欧州の勢力によって支配されました。

  • 騎士団の時代: 1530年、マルタは聖ヨハネ騎士団に与えられ、彼らはマルタの防衛を固め、オスマン帝国からの攻撃を撃退しました(1565年のマルタ包囲戦)。この時代にバレッタ市が建設されました。

  • 近代: 19世紀初頭、ナポレオンの短期間の支配の後、1800年にイギリスの保護領となりました。マルタは戦略的な海軍基地として重要な役割を果たし、特に第二次世界大戦中は重要な拠点となりました。

  • 独立と共和国: 1964年にイギリスから独立を達成し、1974年に共和国となりました。独立後、マルタはヨーロッパ及び地中海地域の政治・経済の中で重要な役割を果たしています。

マルタはその豊かな歴史を通じて、多様な文化や言語、建築の影響を受けています。このような背景が、現代のマルタのアイデンティティを形成しているのです。

マルタ島

マルタ共和国の、「共和国」という名称の特徴を教えてください。

「共和国」という名称は、マルタが1974年に「マルタ共和国」として宣言した際に採用されました。この名称は、国家が元首として国王や女王ではなく、選出された大統領を有する政治体制を採用していることを示しています。共和国の形態は、国家の主権が国民に由来し、国民が直接または間接的に選出した代表者によって行使される政治体系を指します。
マルタが共和国となる前は、1964年の独立時から1974年まで、イギリス女王エリザベスIIが国家元首としての地位を保持していましたが、この地位は名目上のものであり、実際の政治的権力はマルタの選出された政府が握っていました。共和国への移行により、マルタは完全な主権国家としての地位を確固たるものにし、国内の政治的独立をさらに強化しました。
共和国としてのマルタは、民主的な価値観を基盤とし、憲法に基づいて運営されています。大統領は国家の象徴的な代表であり、主に儀礼的な役割を果たしつつも、政府の形成や法律の公布など、特定の憲法上の権限を有しています。この政治体制は、マルタの主権と民主主義の原則を反映しています。マルタ共和国の成立は、国の歴史の中で重要な節目であり、独立以来の政治的成熟の象徴とも言えます。

イタリア、更にシチリア島に近いのに、英国領だったのですか?

はい、マルタは地理的にイタリアと特にシチリア島に非常に近いにもかかわらず、歴史的にイギリスの保護領となっていました。これは19世紀のヨーロッパの地政学と植民地主義の結果です。
ナポレオンのエジプト遠征の際、1798年にフランスがマルタを占領しました。しかし、フランスの支配は地元住民からの抵抗に遭い、マルタの人々はイギリスの支援を求めました。1800年、イギリス海軍がフランス軍をマルタから追放すると、マルタは事実上イギリスの保護下に入りました。その後、1814年のパリ条約によって正式にイギリスの保護領となりました。
イギリスはマルタを重要な海軍基地として利用し、地中海での影響力を維持するための戦略的な位置として重視しました。特に、スエズ運河の開通後は、イギリスとインド帝国との間の航路における重要な中継地となりました。
マルタは1964年にイギリスから独立を達成し、その後1974年に共和国となりましたが、その歴史的経緯は、地中海地域の複雑な歴史と列強国の植民地競争の一例を示しています。

マルタは、騎士団とかで有名ではなかったですか?

はい、マルタは特に聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団とも呼ばれる)とその歴史で非常に有名です。騎士団は、マルタにおいて重要な役割を果たし、島の文化と歴史に大きな影響を与えました。
聖ヨハネ騎士団は、キリスト教の騎士団の一つで、元々は11世紀にエルサレムで設立され、巡礼者の保護と聖地の防衛を目的としていました。騎士団はその後、エルサレム、ロドス島を経て、1522年にオスマン帝国によってロドス島から追放されました。
1530年に、神聖ローマ皇帝カール5世からマルタ島を寄進され、騎士団はマルタを新たな本拠地としました。騎士団はマルタの要塞化を進め、1565年の大包囲戦(マルタの包囲)でオスマン帝国の攻撃を勇敢に撃退しました。この勝利はヨーロッパ中で称賛され、マルタ騎士団の名声を高めました。
騎士団の統治下で、マルタは芸術、文化、建築の面で大きな発展を遂げました。首都のバレッタは、騎士団の大団長ジャン・パリソ・ド・ラ・ヴァレットにちなんで名付けられ、多くの壮麗な建築物が建設されました。これらの建築物は今日でもマルタの重要な観光名所となっています。
1798年、ナポレオンのエジプト遠征の際にフランスがマルタを占領するまで、騎士団はマルタを統治し続けました。その後、マルタはイギリスの保護領となり、1964年に独立を達成しましたが、騎士団時代の遺産はマルタのアイデンティティの核となっています。
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コルシカ島の方は、フランスが占領し続けていましたか?

コルシカ島は、18世紀後半からフランスの一部となっています。それ以前は、ジェノヴァ共和国の支配下にありましたが、コルシカ島の人々の間で独立を求める動きが強かったです。最も著名なコルシカ独立の指導者は、パスカル・パオリでした。彼はコルシカ共和国を建国し、一時は島の実質的な支配者となりましたが、この独立は長続きしませんでした。
フランスは1768年にジェノヴァからコルシカ島の主権を買い取り、1769年に島を完全に占領しました。この占領は、コルシカ島のフランスに対する抵抗にもかかわらず、成功しました。パオリは亡命を余儀なくされ、コルシカはフランスの一部となりました。
以後、コルシカはフランス革命やナポレオン戦争を含むフランスの歴史の一部となりました。ナポレオン・ボナパルトは、1769年にコルシカのアジャクシオで生まれ、彼の出生直後に島がフランス領となったことで、ナポレオンはフランスの市民権を有することになりました。
現在もコルシカはフランスの一地方として位置付けられており、その特別な文化とアイデンティティを保持しながら、フランス共和国の一部を形成しています。地域言語や独自の伝統を守りつつ、コルシカ人の中にはより大きな自治や独立を求める声もありますが、コルシカ島は今日もフランス領です。

独立の気運は現在はあまりないのでしょうか?

コルシカ島における独立の気運は、過去数十年にわたり変遷してきました。1976年に設立されたコルシカ民族解放戦線(FLNC)は、コルシカの分離独立を目指す主要な集団であり、フランス政府との間で長年にわたる暴力的な衝突を経験しました。FLNCは公共施設、銀行、観光施設、軍事施設を含むフランス本土を象徴する目標に対する爆発物を使用した襲撃を行ってきました​​。
2014年、FLNCは武力闘争の終結を発表しましたが、その後もコルシカ島内での活動は続いている模様です​​​​。この発表は、独立運動の新たな段階を示唆するものであり、暴力から政治的プロセスへの移行を意味している可能性があります。しかし、独立に関するコルシカ人の意見は分かれており、一部の住民はより大きな自治権を求めていますが、完全な独立を望む声は全体の中で必ずしも大多数を占めているわけではありません。
コルシカ島の政治的な風景は複雑で、フランス本土との関係、地元民のアイデンティティ、経済的な懸念が絡み合っています。独立の気運は存在しますが、その強さや方向性は時代と共に変化し、また地域内での意見の多様性にも影響されています。

マルタ共和国の大学は1つのみでしょうか?

マルタ共和国には2つの大学があります。一つはマルタ国立大学で、もう一つはマルタ芸術科学技術大学です。マルタ国立大学は、様々な分野を学べる総合大学で、マルタ芸術科学技術大学は、特に芸術関連の学部が多いことで知られています​​。

マルタ共和国の言語はなんでしょうか?

マルタ共和国では、マルタ語と英語が公用語です。マルタ語はセム語族に属し、アラビア語からの影響が見られる一方で、多くのイタリア語や英語の借用語も含まれています。英語は教育や法律、ビジネスなど様々な分野で広く使用されています。これにより、マルタは多言語が共存するユニークな文化を有しています。

有名な観光地や名所はありますか?

マルタ共和国は、地中海の真珠とも呼ばれ、多くの歴史的な観光地や美しい景観を有しています。特に有名なのは、首都バレッタの旧市街地、壮大な聖ヨハネ大聖堂、歴史的な要塞都市ムディーナ、そしてプレヒストリック時代の遺跡が点在する。また、マルサシュロックの漁村や、青の洞窟、美しいビーチがあるゴゾ島など、自然美も楽しめます。これらの場所は、マルタの豊かな歴史と文化、自然の美しさを体験できる代表的なスポットです。

治安はどうでしょう?

マルタは一般的に治安が良い国とされています。犯罪率が比較的低く、観光客にも安全な旅行先として知られています。ただし、どの国にも言えることですが、観光地や人が多く集まる場所では、スリや詐欺に注意する必要があります。夜間の一人歩きや、見知らぬ人からの怪しい申し出には警戒することが推奨されます。基本的な注意を払えば、マルタを安全に楽しむことができるでしょう。


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