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「こうあるべき」という根拠の危うさ

箸の持ち方が変な(というか違う)人をみて「親の顔が見たい」とか「小さい頃からの躾がされていない」とか「育ちがわかる」とか、まるで嘲るように、鬼の首をとったようにいう人が嫌いだ。

箸の持ち方だけで、まるでその人の親のことから育ちから、どんな人生を送ってきたかまで、すべてわかったかのようにいう人がいる。そういう人が実はたくさんいる。そういう人々に共通の特徴は「自分の箸の使い方が正解」と思っていることだ。

箸だって、世界中には違う種類の箸があって違うマナーがある。

この社会で「こうあるべき」という”ここでの常識"の根拠は危うい。家族全員が違う苗字のこともある国で働いていた時に、男女選択制別姓に反対する日本人が力説する、その根拠が全然理解できなかった。(本当)

それに、一事が万事という言葉はあるけれど、やっぱりしょせんはただの「箸の持ち方」なんだよね。生きていく上で「箸の持ち方」より大事なことは山ほど山ほど山ほど山ほどある。


と、こういう考えの親の元で育ってしまった息子よ、自分で勝手にたくましく育ってね。