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ビリー・ジョエルと吉川先生

吉川先生は、小学校の担任だ。
小学5年・6年の2年間担任だった吉川先生は、当時30代前半だったように思う。本当はもっと若かったのかもしれないが、子供の目線で見た吉川先生は十分におっさんだった。

私もクラスのみんなも、うちの母も、きっとほとんどの保護者が吉川先生のことが大好きだった。先生は決して見目麗しいタイプの人ではなく(先生ごめん)、昔はよく見かけた、裾がつぼまってリブとジッパーがついたダサいジャージにYシャツ、ネクタイという、なんとも先生らしい恰好がお決まりの、中肉中背でちょっとヒゲの濃い、ちょっと古臭い形のメガネをかけた先生だ。

そんな吉川先生の授業はいつも面白かった。
生徒の気持ちをつかむために、よくいろいろな工夫をしてくれた。今になって思えば、本当によく準備をして取り組んでくれていたのだと頭が下がる。先生は朝から晩までずっと学校にいたし、休憩やホームルーム、放課後もよく私たちと話してくれた。私たち生徒を子供ではなく”小さな大人”として扱い、時にふざけて、時に真摯に一人一人と向き合ってくれた。
先生の周りにはいつも生徒の輪ができ、私たちは先生と遊ぶ時間が大好きだった。

吉川先生は時折授業でギターを弾いた。
なんの授業だったかは覚えていないが、社会科かホームルームだったのだろうか。自前のアコースティックギターであまり上手でない歌を聞かせてくれたものだ。当時の教師にはきっと昭和の学校ドラマへのあこがれが強かったのだろう、吉川先生もご多分に漏れず、生徒と一緒に河原や土手でギターとともに合唱するのを好みそうな熱血教師であった。
そんな吉川先生がある日、英語の歌詞の曲を歌ってくれた。とても物悲しいメロディーで、かつ情熱的な雰囲気のその曲について尋ねると、先生は

「これはビリー・ジョエルという有名な歌手の”オネスティ”という曲だよ」

と教えてくれた。
先生はビリー・ジョエルが大好きなのだという。
その日、家に帰って母にその話をした。吉川先生ファンの母も大いに興味をひかれたらしい。吉川先生のあまり上手でないオネスティの演奏の話を楽しそうに聞いてくれた。
その後も先生が歌った曲が忘れられず、先生に頼んで放課後にまた弾いてもらった記憶がある。しばらくその曲に夢中になり、とうとう母に頼み込んでCDを買ってもらうことになった。

初めて手にしたCDは ビリー・ザ・ベスト。
全部で25曲が収録された2枚組CDだ。

結構長いこと飽きずに聴きこみ、オネスティは歌えるほどになった。
CDを買ってもらったことがうれしくて先生に報告すると、先生は驚き、そして嬉しそうだった。
「そうかー、お前もビリーが好きか。いいだろう?かっこいいよなぁ!」
そういって頭をなでてくれた日のことを今でも覚えている。

その後も先生にはいろいろと教科書には載っていないことを教えてもらった。ある日は教室のデスクで先生が読んでいた本に目が留まった。題名は覚えていないが、オゾン層とオゾン層破壊による地球環境の変化についての本だった。先生は私が興味を持ったのを見て、自分が読み終わったら貸してくれると言い、実際数日後には貸してくださった。小学生にはややボリュームの多い、内容が難しい本だったので、返却はいつでもいい、ゆっくり読みなさいと言って本を渡してくれた。
子供のころから読書が大好きだったこともあり、本を読むことには慣れていた。内容はさすがに大人向けのアカデミックな内容が盛り込まれていたため難しい部分も多かったが、なんだか自分が大人になったように感じて誇らしく、真剣に読み進めて数日で読破した。
本を返しに行くと先生に感想を聞かれ、拙い言葉で環境保全の重要性について語ったもの良い思い出だ。

社会人になったころ、先生はすでに教育委員会の上位職に就いていた。先生のメールアドレスを知る機会があり連絡すると、ちゃんと覚えていてくれて素敵なお返事が返ってきた。先生は昔の教え子の近況報告を大層喜んで下さり、またいつでも連絡しておいで、と言ってくれた。
すっかりご無沙汰している吉川先生。すでに退職されてのんびり過ごされていることだろう。新しいものが好きだった先生のことだから、きっとスマホやデジタルツールも使いこなしているにちがいない。また機会があれば連絡したいな、と思う。

地元をでて国内外を転勤しつづけた私の部屋には、今でもビリー・ザ・ベストが置いてある。



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