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スウェーデンからの訪問者

今宵は、明後日に娘と一緒にスウェーデンに帰国するボーイフレンドと、ゆっくり食事をとる最後の機会だった。週末、一緒にドライブで立ち寄った酒蔵、大嶺酒造のフレッシュな酒瓶の封を切った。

優しい口当たりと甘い香りで、とても呑みやすい。下戸なのを忘れて、つい飲み過ぎた。

「娘のどんなところが、好きなんだい?」と彼に質問。

”Funny!”と即答。そして、「個性的な動き方や仕草」と続け、最後に” Cute ! “といってニコリと笑った。

妻が、それって、『ゆるキャラ』に使われる形容詞ばかりだ、と、笑うと、「いざとなったときは頼れる。」と彼は慌てて、付け足した。

予想通り、娘の「天然」が、自然豊かなスウェーデン育ちにマッチしているようだ。

娘が、会話を引き継ぐ。

「そういえば、あなたの両親から私は、そんな風にあなたの『どこがすき?』なんて質問されたことないね?」と、彼に尋ねる。

「彼ら(両親)は、自分の子供をパーフェクトとおもっているからね」と彼はこたえ、自然な微笑みを浮かべた。

おもしろい。

減点主義で、存在そのもの「全体」ではなく、我が子でさえ、つい「部分(要素)」でみてしまう日本人の悲観主義が自分の中に根を下ろしていることに気づかされた。

スウェーデン人の彼らは、より楽観的に世界を見ている。幸福度のスコアは世界でもずば抜けて高い理由の一端を垣間見た気がした。

ネットでは、今夜日本の首相は、我が国の出生率の低さに「危機感を表明」したとトップニュースで流れていた。子育て支援予算の拡充を図ると談話を発表したとある。

もちろん若者世代への社会的支援は重要だが、それだけでは、あまりに表層的ではないだろうか。

精神医の斎藤環さんは、最新書「『自傷的自己愛』の精神分析」(角川新書)の中で、「健全な自己愛」が形成できない我が国の社会風土の病根を指摘している。

自己愛は、長年、精神医学界で、否定されてきた。それは、ナルシシズムという言葉の悪いイメージが先行した為に産まれた弊害であったとする斎藤氏。

他者と対等な関係を結ぶ基盤となる健全な「自己愛」は、人間の心身の健康に欠かせないと指摘している。

詳細は、書籍にあたってほしいが、一見、「自己愛」が強すぎるようにみえ、「自己中心的」に傍若無人に振る舞う人間(たとえば、トランプ元大統領のような人)の内側には、スティグマからの強烈な「自己否定」が巣くっていることが往々にあると、ひきこもりの専門家でもある斎藤氏は指摘する。

そんな歪んだ自己愛という「自己否定感」が強すぎる人々で形成された社会では、明らかに社会システム側に問題があっても、批判的声が上がりにくい。よって、社会改革が容易に進まない。

むしろ、あまり意識されない自己肯定感、自尊感情、自己への配慮こそが、成熟した「自己愛」の形であるとするなら、生きていく上で、もっとも重要な機能は「自己愛」が担っているとさえいえる、と斎藤氏は語る。

精神医学界からの斎藤氏の指摘とは別に、「性善説」を前提とする健全な宗教のなす役割も個人の「自己愛」の形成に密接に関係してくることは、容易に推察できる。

スウェーデンから訪れた一人の青年の穏やかな佇まい。そんな言語化できないことから、一つ一つ学ぶかけがえのない時間が、今はとても愛おしい。