「The Bold Type」(NYガールズダイアリー)の偉大さ

数ヶ月前、NMB48の吉田朱里さんがyoutubeで、NYガールズダイアリーにハマってると言っていたので、Huluで私も見ることに。

シーズン1、1話、観る。
「あ〜SATCみたいな、プラダを着た悪魔みたいな、感じか〜〜。まああんまり海外ドラマハマったことないし観るか〜気軽に観れるし〜〜ってか、邦題ダサ過ぎる?!?!原題『The Bold Type』でしょ?!?!何だよNY ガールズダイアリーって?!センスがゼロか?!?!?!?!?!Freeformに謝れよ!!!」



シーズン1、10話、観る。
「えええ………これは…すごい功績だ…ええ…??マジか……」

漫画とアニメと邦画に時間を割いていたので大分時間空いて、シーズン2、観る。

「面白すぎる」

家にいる時間すべてをThe Bold Typeを観ることに充て、全て観る。

「えっ?!?!これシーズン3の最終回?!?!マジか?!!ええ〜〜
The Bold Type season4 [検索]」

虜である。

一見SATCとプラダを着た悪魔なんだけど、シーズン1の10話で全く新しい別物だということがわかった。仕事に恋に大忙し♡笑えて泣ける、NY女子たちのドタバタ奮闘記♡を想像していたら、してやられた。


「人間はジェンダー、人種、職種、セクシャリティ、宗教、過去、学歴等で差別や不当な扱いや勘違いをされていてはならない」ということにおいて高い前提意識を持っているミレニアル世代の女性が、まだNYでも当然のように存在するその現実と向き合い、正当な評価を受けられるため、世の中をfairに変えるため自分の力で努力し、自己実現をする話だ。

シーズン1の10話(最終回)では、主人公のジェーンが性暴力被害について向きあう中、主人公たち3人の上司である編集長・ジャクリーンが自分が過去に性暴力の被害にあったがキャリアが傷つくからとずっと隠してきたことを告白する。そして最後は全米性的暴行ホットラインの電話番号を表示し終わる。

製作者のSarah Watsonのインタビューを読むと、製作陣が、この10話が自分たちがやりたいことだったと序盤から思っていたこと、「全ての女の子」の話をドラマでしようとしていること、これは間違いなくフェミニストの物語であるということ、これまでとは違うフェミニズムへの向き合い方をしていること、この物語は女性の友情を描いているが、この物語の女性の友情関係をfriendship porn(友情ポルノ)と呼んでいること、を語っていた。

一見適当でそれこそBoldなアメリカ人女性を通して、物凄く丁寧に、社会で、世界で起きている一番是正すべき問題に向き合う、ということ、このドラマは、それをしている。

私はこのドラマを観て、高圧的なおじさんに対して強気で向かえるようになった。ありがとう、The Bold Type。Hulu様、season4の配信も、あの、本当に、待っています……。

(P.S.  NYガールズ・ダイアリーなんて邦題は、おじさんが付けたと思うのですがどうなんですか???この物語をちゃんと観た女だったら、こんな題付けるはずが無いと信じているのですが…もしかしたら原題でいこうとしていたのをよく見たこともないおじさんがあらすじだけ見て「いや、それはダメだ。そんなんじゃ見ない。ニューヨーク・ガールズ・ダイアリーだ。(女は皆、そういうの好きだろ?)」(←という意図であるならば、大失敗している)と言ったのではないか??と偏見塗れに想像しています……違ったらほんとうにごめんなさい…違ったとしても、その意図が見える時点で、良くないので原題にしてください……日本人の文化レベルも、あなたたちが思っている程は低くないと信じています……)

#海外ドラマ #ドラマ #海外 #フェニミズム #theboldtype



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