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Gone with the wind

映画「風と共に去りぬ」が話題になってます。この映画を見たのは中学生の頃だったでしょうか。確か前編と後編に分かれてて途中で休憩が入ったように記憶しています。当時、映画が大好きで「ロードショー」という映画の雑誌の俳優名鑑みたいな付録をもとに、アメリカの俳優の名前を丸暗記していました。お小遣いがそんなに豊富ではありませんから、映画を頻繁に見に行けるわけでもなく、せめて映画に触れる時間を多く持とう、とそんなことをしていたのだと思います。

今この映画は人種差別的ということで話題になっているようですが、そもそも映画なり小説なり芸術なり、いってみれば創作物全般は生み出された時代とは切り離せないと思うんです。

作者の考えていること、価値観、そして映画であればCGなどの作成技術等々その生きた時代の影響が色濃く反映しているはずです。

私は中学生の頃、国語が苦手でした。「この場面での主人公の気持ちを考えなさい」とか「この作品のテーマはなんでしょうか?」などなど、私の答えはいつもトンチンカンで我ながらあきれ返っていました。なのですが、今思うにたとえば小説などで読み手がどう受け取るかは千差万別です。「主人公の気持ち」にしても、そもそも読者が様々な環境で育ち、ひとそれぞれの価値観を持つわけですから答えがひとつのほうがよっぽど変だと。特に古くに生み出された作品などは、その意図するところを読み取るのは至難の業とさえ思えます。

そして時代がさかのぼればさかのぼるほど、字を読み書きできる人の率は減っていくはずです。ですから仮に500年前に書かれた書物があったとして、書かれた当時、その書物を手にし、理解できるだけの頭脳をもっている人の率はとても低かったのではないでしょうか?読み手がどのような階層のどういう人々かがあらかじめ分かりきっていたのではないかということです。ぶっちゃけ、時間を持て余した高貴な人々の娯楽小説とかそんな位置づけで書かれていたものもいっぱいあったのでは?と。中身なんかすっからかんかもしれません。

作者がこの作品を書いたのはこれこれこんな時代背景があったからなんです、というような分析の方が、主題がどうのこうのいうより、まっとうな位置づけができるような気がします。

言ってみれば時代が生み出したあるサンプルとして読む、聞く、眺めるといったようなスタンスです。

「風と共に去りぬ」も、かつてアメリカにこんな時代があった、という歴史的資料として、距離を置いて鑑賞する力を多くの人が持っていれば、今のこのような騒ぎになることもないかもしれません。たまたま今はこの映画が話題になっていますが、もしかしたら他にも同じような映画、小説等がたくさんありそうな.....

今、私たちがいわゆるエンターテイメントとして楽しんでいるものごとの中には将来、何かの出来事や時代の変化をきっかけに今回のように批判の対象となってしまうものがあるかもしれません。

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