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夏の終わりの休日に

新学期が始まり、2号が新しい教科書を持ち帰ってきた。「おてがみ」が載っていた。がまくんとかえるくんのお話。教科書には、がまくんとかえるくんの他のお話の本も紹介されていたので、図書館で借りてきた。そうして2号と前後して、全4冊を読んだのだった。

『ふたりはいっしょ』にある「よていひょう」という話では、がまくんが「することがいっぱいあるんだ」と1枚の紙に書きだす。ひらがなで「きょうすること」と書かれた予定表の挿絵まである。最後は「おねんね」だ。訳者の言葉選びの妙を感じる。

2号がメモ帳をピリピリと台紙から剥がした。うまくできないと半ベソでやってくる。ミシン線に沿って折り目をつけるとうまく剥がせるよ、と話しながらやってみせる。そうして鉛筆で何か熱心に書いている。がまくんの真似をしたらしく、「きょうすること」を書いていた。

2号が書いた「よていひょう」には、猛暑だというのに「さんぽする」と書かれていた。マジか。しかも不思議なことに、それじゃぁ行くしかないな、とわたしたちは出掛ける準備を始めていた。

花火を買いに行くという名目で出掛けようと話していたのに、気づいたら公園のベンチでコンビニおにぎりを頬張っていた。買い物に行くつもりだったから虫除けスプレーなど持ってきていない。2号の足には次から次へと蚊がやってきていた。足下には、すでに頭部がなくなっているセミの死骸があり、その横で瀕死のミミズがヒクヒク動いては寄ってくるアリを牽制している。あっちの茂みにも、こっちの茂みにも、立派なクモの巣が張っている。

池のほうに降りると、「オタマジャクシいるかなぁ」と2号。「この時期にはいないんじゃないかなぁ、可能性は0じゃないだろうけれど」と言うと、「0じゃないもんね」と2号は池を覗き込んでオタマジャクシを探す。探しても探してもアメンボばかりがスイスイ水面を移動していて、その上をトンボが飛び交っていた。

公園はふだんより人が少なく、緑が多いせいか、心なしか涼しく感じる。ここに辿り着くまでは暑くてどうにもならないが、辿り着いてしまえば心地よい。

オタマジャクシを探すことを諦めたのか、2号が戻ってきたので、改めて花火を買いに出掛ける。途中の階段では「グリコ」をしながら進むので、なかなか先に行かない。何かで通りかかったときに、「グリコ」を教えたのがここの階段だったので、この階段に来ると「グリコ」をせずにはいられなくなってしまったらしい。わたしはできるだけグーを出して、グリコで3段ずつ進む。2号にはチョキかパーで勝たせて、チョコレートやパイナップルで6段進めさせる。数を数えるのが苦手だから、5段しか進まないときや多めに7段進むときがある。ふだんは見逃さないのに、あまりの暑さに面倒で、数が合っていなくても見逃す。

ホームセンターで無事に花火を買う。火をつけて燃やしてしまうだけのものに、お金を使うなんてもったいないなぁという考えが頭をよぎる。そうはいってもコロナ禍で、動物園も水族館も博物館も行けていない。早朝のラジオ体操も盆踊りもお祭りも中止が相次ぎ、なーんにも楽しいことがなかった夏休み。そもそも夏休みが2週間足らずと短かった。花火くらいやって楽しい時間を確保しないと、やってられないではないか。

帰宅して、2号は「よていひょう」の「さんぽする」に傍線を引いて、消していた。書いていなかった「宿題」と「学校の準備」をして、あとは「花火」と「おねんね」をすれば今日の予定は無事終了だ。

最近「絵日記」を書くようになった2号は、今日のことをどのように書き残すのだろう。どんな絵を描くのだろう。あとで振り返ったときに、何を思うのだろう。

夏の終わりの休日の出来事。

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