日記2023/08/11 新宿のエクソシスト

 昼夜の感覚が壊れたので必然的に日付の感覚も壊れた。自分が何時くらいに眠くなるのか予想がつかないので生活ができない。この日記の日付もテキトーである。夏休みはまだ一か月半あるし大丈夫か…………。あれ、前期の成績発表っていつだっけ。

 「ヴァチカンのエクソシスト」を観に行こうと思った。ホラー映画は大の苦手だが、いわゆる「寺生まれのTさん」的な話だと聞いていたし、予告編より怖いシーンはないとも聞いていたので、まあギリ大丈夫だろうと思って行った。

 というわけで新宿のTOHOシネマズに向かった。普段は新宿の方には行かないのだが、その日で良い感じの時間(といってもレイトショーだが)に上映しているところがそこしかなかったので久々に行くことにした。「エブエブ」を観に行って以来だ。
 夜の東京は怖いところである。高校一年の冬休み、新型コロナウイルスがまだぎりぎり対岸の火事だった時期に行ったのが最初の記憶だ(ちなみに主目的は渋谷の花譜展に行くことだった)。このときもTOHOシネマズ新宿に行った。映画を観に行ったのではなく、建物の上に乗っかっているゴジラヘッドを拝みに行ったのである。しかし、記憶に最も焼き付いたのは、ゴジラヘッドへと向かうあの一本道のど真ん中で上半身裸になり暴れ狂っている大学生の群れだった。「客引きはすべて詐欺です! 許すな、客引き!」とかいう大音量の放送が鳴り響く中、それをさえ超えておそろしい叫び声を上げながら走り回る大人たちの群れが本当に怖くて、ゴジラの写真を何枚かだけ取ってスタコラサッサと帰ってしまったのを覚えている。
 さてこんども謎のプラカードを持った男女やら客引き注意の放送やらゴミの山やらに囲まれながら夜九時の新宿をそさくさと歩いていて、そして最後の直線に差し掛かって私が最初に見たのは、放射熱線を吐くゴジラ、ではなく嘔吐する男性の姿だった。けっこう至近で見た。なるほど三年以上たって感染症の流行を経ても変わらないものは変わらないらしい。

 ところで、TOHOシネマズ新宿のエントランスってなんであんなだだっ広いだけなんですかね? あんな空きスペースを放置するくらいならベンチをいっぱい置いてほしい。何の支えもなくずっと立っているのはまあまあ不快であり、不快を避けるため上映開始のぎりぎりを攻めることになってしまって緊張感が漂う。それが目的なのかもしれないが。

 そんなにいろんな種類の映画館に行っている人間ではないが、上映前に流れる映像の不快度はTOHOシネマズがいちばんだと思う。長いし。映画が始まる前にアレを眺めさせられると思うとしっかり憂鬱になるくらいだから、上映開始時刻から映画が始まるまでの時間を予想して本編開始ぎりぎりに入場するとか言っていた人の気持ちもわからんではない。
 「auスマートパスプレミアム」という単語をあの何が面白いのか全く分からないタイミングで笑い始める意味不明の動物たちが発するたびに、スマートフォンの電源を早めに落としてしまったことを後悔する。あれって本当に何が面白くて笑っているんだあいつらは。
 たぶん「現実にありそうなリアルな会話の一場面を切り取った」的なコンセプトの映像なのだと思う(たぶん元となる作品があるのだろう)。それなのにあまりに定型文的な宣伝の文句を述べ始めて「エヘヘヘ」し始めるあたりが不気味に感じられるのかもしれない。
 既存のアニメのキャラクターが現実世界の商品やサービスを宣伝させられているさまを見るのがひどく嫌いで、「俺たちの冒険がブルーレイになって登場だ!」とかでさえちょっと嫌なくらいなので、スパイファミリーの鑑賞マナー啓発動画もまともに画面を観られなかった。あれだったらまだクソデカクチビルモンスターのほうがましだと思う。
 あと、映画泥棒。いまの映画泥棒はちょっとおかしいと思う。「映画を劇場で撮影してはならない」「違法アップロードされた映画をダウンロードしてはならない」というのが主張なのだから映像でもそれを伝えるべきなのに、なぜカメラ男のパルクールばかり見せられるのか。「映画泥棒」が「映画泥棒」であるところの要素が冒頭の数秒とナレーションにしか存在しない。すでに映画泥棒という存在を知っていてナレーションの内容も暗記してしまったような連中にしか通じないだろう。初めてTOHOシネマズに来た人間がアレを見て「あぁカメラでスクリーンを撮影するのを咎める映像なのだな」とわかるのか? 関西電気保安協会のCMが「かんさい、でんきほ~あんきょ~かい」というあの特徴的なフレーズを自ら前面に出してネタにし始めたの同じ不快感を覚える。「映画泥棒」じたいは好きなので、あくまで媚びずにやってほしいのだが。
 さいきんはブラックマヨネーズのふたりが反大麻を訴える映像がラインナップに追加されたようだ。以前(「君たちはどう生きるか」を観に行ったとき)に見たときはふ~んとしか思わなかったのだが、今回、新宿のTOHOシネマズでは明確な変化があった。
 劇場が笑いに包まれたのである。
「大麻?」「大麻だって」「新宿で?」「アレじゃん」「ハハハ」
 そんな声が客席のあちこちから聞こえてくる。なるほど、これが新宿か、と思った。髪も切らずに自室にこもっているばかりでは見えない景色がある。本日の学び。新宿のTOHOシネマズでは大麻がオモロコンテンツだ。覚えておけ。
 広告は既存のキャラクター(実在・非実在を問わず)のやり方に依存する形では行わないほうがいいのかもしれないと思った。芸人が漫才の形式で商品を宣伝する映像に面白いものはひとつもないし、アニメキャラクターがストーリー仕立てで行う広報で幸せになれるものはひとつもない。「漫才は面白い」「アニメは面白い」という前提に胡坐をかいて、その形式をなぞるだけで自動的に「面白さ」が出てくると勘違いしているのがよくないのかもしれない。それか、単に、限られた時間で宣伝をしなければならないという制約のためか。面白くしようという意図が初めからないのか。いずれにせよ、なかやまきんに君がいろんな状況で「ヤー!」と叫ぶやつくらいが限度だろう。
 ちびゴジラのよくわからん映像が流れた直後にゴジラ-1.0の予告編が流れたときは笑ってしまった。落差がひどすぎる。でもこっちでは俺しか笑っていなかった。なんでだよ。大麻よりこっちの方が面白いだろ。

 以上、TOHOシネマズの悪口。1625文字。

 以下、映画の感想。ネタバレあり。

 映画の本編は、聞いていた通り、予告編よりも怖いシーンがほぼなかったので安心して観ることができた。「悪魔はその名前を知ることによって弱体化させられる」という設定があるから、特に序盤~中盤では、ホラーというより、敵の正体を知るために必死で調査するミステリという印象が強かった。
 エクソシズムがテーマなだけあってキリスト教的なモチーフが延々と提示され続けるのだが、これのかっこいいこと! よくわからないがかっこいい紋章が刻まれたメダル、よくわからないがかっこいい十字架、よくわからないがかっこいい絵、よくわからないがかっこいいデカ本、よくわからないがかっこいい洋館、よくわからないがかっこいい詠唱! 宗教的な建築や美術、儀式というもののもつ、洋の東西を問わない根源的な格好良さを見せつけられた気分がする(宗教的なものがカッコイイのは信者を魅了しなければならないからだと思う、知らんけど)。
 自分の過去の罪を見破って煽り倒してくる悪魔(強い悪魔なので、レスバが強く、エクソシストたちはレスバに負けて取り乱している間にボコされるのだ)に立ち向かうというストーリーなので、告解のシーンが数度あったが、これも好きだった。「形式」を守ることに快感を覚えるタイプの人間なので、「よし罪を懺悔しろ」「あっ、はい」というノリですみやかに所定のポーズをとって所定の文言を唱える二人の姿を見て楽しくなった。
 前にも書いた通り「悪魔の名前を知る」「悪魔に自分の正体を認めさせる」というのが戦いの上で極めて重要な位置を占めるということが何度も強調されるので、終盤の祈祷バトルにおいて「アスモデウスだと認めろ」と迫り、ついに「私はアスモデウスだ」という言葉を引き出したところでテンションがめちゃくちゃ上がった。そのあと敗けたけど。
 その後のラストバトルではバチバチのVFXも相まって、ことし観た映画の中で一番くらい楽しく見ることができた。テンションが上がりすぎて叫んじゃうかと思った。実際に叫んだら大迷惑なので叫ばなかったけど。「応援上映」が望まれたのもさもありなんという感じがある。
 実際にやっていることは、過去の罪をあげつらって煽り散らかしてくる悪魔に対してその煽りに屈することなくひたすら祈り続けるというビジュアルエフェクト付きレスバトルみたいなものだったのだが、その唱えている文言が本当にかっこいいのだ。詳しくは忘れちゃったけど、「○○のもとに命じる」みたいなのを何度も繰り返してるところは本当に文字列の快楽だと思った。レスバ最高!
 本編終了後、さっき大麻で笑っていた観客たちが「楽しかったね~」「わたしエクソシストになろうかな」などとワイワイしているのを聴きながら劇場を出た。そういえばこんなに観客たちがワイワイしている映画を観るのは久しぶりだったかもしれない。最近はガラガラの映画館で映画を観るか、人がいっぱいいたとしてもなんかムツカシイを観るかのどちらかだったから、劇場を出るときの周りの反応も「……………………」とかいうのが多かったのだ。
 やっぱり娯楽はテンションあがってなんぼだ。テンション上げていこう。ウェ~~~~イ!

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